公開日

交通要所で地中から現れた「古い石橋」 かつて那覇は海だった!?

交通の要所那覇市の与儀交差点のすぐそばの道路の下から、アーチ型の古い石橋が現れました。石橋をきっかけに時代を遡っていくと、那覇の大部分はかつて海が広がっていたという歴史にたどり着きました。

那覇市の与儀交差点。車の通りが多い国道330号線から那覇の中心地にむけ、開南方面に曲がってすぐの道路では現在、渋滞緩和などを目的とした工事が進められています。

写真を撮る男性「新聞見て、沖縄市の方から見に来ました。石積みとか面白いなと思って、昔の。」

道路の下から顔を見せたのは、古い石橋。きれいなアーチ型が特徴です。いったいいつ造られたものなのでしょうか?那覇市文化財課の樋口麻子さんに聞きました。

那覇市文化財課樋口麻子さん「この橋は与儀橋という橋です。大正時代の初め頃に橋のあるこの通りをですね、広げて開通したといわれています。」

「大正時代の始め1920年代後半ということになるので、そのくらいからですとだいたい約100年ということになる。戦争被害も一部受けて、改修もされている可能性があるんですけれども。」

この橋が架けられた理由について与儀の自治会史に記録が残されていました。

「こちらの方向から向こうに向かって川が流れているんですけれども、この道路を開通したきっかけっていうのが開南の方向とこの与儀を結ぶということで、当時の真和志間切りの村長だった方が開通したと。」

記録によると、与儀橋の周辺はかつて船増原と呼ばれていました。

「この与儀橋の付近、ここが船増原という小字名がついてるんですね。船が増える原っと書いて船増原というんですけれども、かつてはこの一帯に船が出入りしていたという話があります。」

この那覇市のど真ん中に、船が・・・!?それは、与儀橋がかけられたとされる100年前よりもずっと前のこと。

「昔の海岸線を想定した図と、現在現在の那覇市を重ね合わせた図になっているんですがこの与儀の公園の方まで、入り江になっているっていうのがわかるかと思うんですけれども。」

1500年から1600年代の海岸線を想定して作成されたイメージ図。県庁、崇元寺、国際通りや壺屋など現在は住宅や商業施設が立ち並ぶ那覇市内の多くが海だったことがわかります。

かつてはこのあたりまで海からの入り江が続いていて、物資を輸送する山原船が入ってきていたのです。

「戦後には物資の行き来もかなりあったと思うので、そういう意味でも道路がどんどん整備されて広がっていって。」

山原船が行き来していた時代から与儀橋がかけられた時代を経て、現在の交通量も多く、バスなどの大型車両も通行するこの通りの様子を当時の人たちは想像していたのでしょうか。

樋口麻子さん「意外に自分の身近なところとか、いつも目にしているところなんかに文化財があるということもあるので、こういうのをきっかけに今見えてるものではなくて、その後ろに今までの積み重ねもいろいろあるので、そういうのにも関心を持っていただけたらなと思ってます。」

道路工事は3月末に完了する予定で、与儀橋を見ることができるのは今だけです。

あわせて読みたい記事 ヤンバルクイナ

あなたへおすすめ! クマノミ 小 クマノミ 大きい