公開日

埋もれゆく記憶つなぎとめる 沖縄戦・米軍上陸から77年目

およそ20万人が命を落とした太平洋戦争末期の沖縄戦。77年前の4月1日、本島中部の西海岸からアメリカ軍が上陸し、住民を巻き込んで3か月にわたる激しい地上戦が始まりました。

沖合を黒く埋め尽くすのは1500隻ものアメリカ軍の艦船。激しい砲撃77年前の1945年4月1日、慶良間諸島を攻略したアメリカ軍は読谷から北谷にかけての海岸線から沖縄本島に上陸しました。

旧日本軍は本土防衛に向け持久戦の構えをとり、このあと3か月及ぶ地上戦が繰り広げられ県民の4人に1人が命を落とすことになります。

いまは住宅が建ち並ぶ那覇市泊にはかつて昭和高等女学校がありましたが、その存在はあまり知られていません。

昭和高女に通い梯梧学徒隊として戦場に動員された上原はつ子さん、94歳です。

上原はつ子さん「学校に兵隊たちは寝泊まりしておりまして、飛行場を作ったり、高射砲陣地を作ったり、天久の大浜病院があったところも高射砲陣地を作ったんです。」

梯梧学徒隊は南風原の野戦病院で負傷兵の看護や食料の運搬、時には死体の埋葬など過酷な任務を任され動員された17人のうち9人が命を落としました。

上原はつ子さん「今の高校生の17~8の頃に私たちは戦に参加したんですよ、そういうことも今の皆さんはご存じないから、学校の先生も知らないから、生徒には教えられないと思いますのでどうぞ知っていただきたいと思います。」

県内でガイド務める参加者「言葉では学徒隊がいたっていうことをお伝えしてきているんですけど、実際に生の体験者の方の思いを耳にする事によって伝えていくことの大切さを今日改めて胸に(刻んだ)。」

戦後77年、埋もれゆく記憶を繋ぎ止めようと模索が続いています。

あわせて読みたい記事 ヤンバルクイナ

あなたへおすすめ! クマノミ 小 クマノミ 大きい