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亡き父の故郷は基地の中に 普天間基地返還合意から26年

日米合意から26年、普天間基地から派生する騒音など負担は改善されないままです。先祖代々の土地を基地に奪われた男性は複雑な思いできょうを迎えました。

「ドームがあるところですね、あの辺が昔の仲宗根家の実家」

宜野湾市佐真下に住む仲宗根清茂さん(71)。26年前、普天間基地の返還合意が突如発表された時の喜びを今も鮮明に覚えています。

仲宗根さん「故郷に帰るというイメージが皆あったので、大変な喜びで。返還に向けて良い思いをしていたと思います。」

しかし返還はいつしか県内移設への議論へと変わり、祖先の土地は帰されないまま基地から派生する問題に悩まされています。

「何でこんなにかかっているのか、基地が以前より強化されているというのが近くに住む住民としてとても恐怖。」

毎年、清明をする門中墓は57年前に基地のフェンス沿いに建てられ戦争で亡くなった親族は遺骨の代わりに小石を収めたと言います。

「ここは黙認耕作地になっているんですよ。父が前に畑をしていた、土地がこれだけしか残ってないから。フェンスの外か内かわからない」

僅かでも残された土地を守った父は基地の返還を見ずに7年前にこの世を去りました。戦後の貧しい時期に家族を養うため一時、基地で働いていた父の気持ちを清茂さんは想像します。

「仕事が終わったら家に帰るときは故郷から外に出ていくような思いが強くて、本当にしのび偲び難いところがあったんじゃないか。」

土地の早期返還を求める一方で基地から派生する問題を考えれば現行の移設計画には賛同できないと話します。

「宜野湾市民はあと何十年もこの基地を抱えたまま暮らさないといけないのか。別のところを探して貰えれば一日も早い返還ができるんじゃないか。沖縄に70%も基地を置くことは誰でも許せない、納得できない状況だと思う。」

基地に消えた故郷への思いは日に日に強くなっています。

「子や孫たちに返還した土地を引き継いでいきたい。早めの返還を希望したい。」

返還合意から26年、故郷を飲み込んだ広大な基地は動かぬままです。

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