ショークラブが生まれ変わった「スケートパーク」子どもたちと地域のために
去年の東京オリンピックで西矢椛選手が日本史上最年少の金メダリストに輝くなど、一躍注目を集めたのがスケートボードです。県内にもユニークなスケートパークがあり、地域のこどもたちの居場所になっています。植草アナウンサーのリポートです。
植草凛アナウンサー
「沖縄市のパークアベニューです。ストリートカルチャー溢れるコザの街で、スケートボードが楽しめる施設がこちらです。スケートクラブオリオン!早速中に入ります。中は広々として開放的なスケートパークになっています!」
去年1月に誕生した県内でただ一つの室内スケートボード施設。「スケートクラブオリオン」。
運営するのは県内初のプロスケートボーダー才哲治さん。過去3度、日本チャンピオンに輝き、去年の東京オリンピックでは代表コーチも務めました。
ところで、よく見るとバーカウンターやミラーボールなど、スケートパークらしからぬ設備の数々。ここは一体!?
才哲治さん
「もともとはベトナム戦争時外国人向けのショークラブ、夜のお店ですね。そこが閉店してしばらく閉まっていたところを、僕らが縁があってお借りすることができた。」
なんと30年以上使われていなかったショークラブを、才さんや関係者が改装し、縦横無尽にスケートボードを楽しめる空間に生まれ変わらせたのです。
天井を高くするため新設した中2階には、滑った後に休憩できる”VIPルーム”のようなスペース。安らぎの場所にはかつての店の名残が。
才さん「昔のショークラブ時代のメニュー表とか、許可証みたいな」「風俗営業と書いてますね」才さん「ちょっと貴重なやつなんです」
さらに2階にあがると・・・。「元々は人が住んでいたスペース?」才「そうです。床があって畳、ほぼ全部畳でした。欄間は残しながら」
当時ショークラブのオーナーが暮らしていた2階には、ミニランプを設置しました。
Qよくここ来られるんですか?お客さん「はい、週3回くらい。みんなスケボー好きだから自由、自由にスケボーできるから好き。」
才さん「もともと道向かいでハーフパイプの施設をやっていて、地域の方々、近くのおばあたちがこどもたちが練習してるのを見にきたりとか、近所の人がいつも頑張ってるねと声をかけてくれたりとか涼みにきたりとか。」
「地域とスケートボードという関係がうまくできてるなというのをすごく感じていた。」
より地域とスケートボードの距離を近づけその可能性を広げたいと生まれたのがこのスケートクラブオリオンです。
改装の費用は利用者の寄付やクラウドファンディングで多くを賄い、廃材の提供など地域の支援もありました。
才さん「僕らがやりたい事を地域に理解して頂いているので、コザでやってて良かったなと凄く思います。」
才さんが目指すのは、”児童館”のような地域のこどもたちの居場所。天候や暑さを気にせず滑る事ができるため、夏休みの間、大勢のこどもたちが集まります。
「遊べる場所」「遊び場!」Q3人はどこで出会ったの?「スケボーで」「ここです」
スケートクラブで出会ってまだ3か月という3人ですが、夏休みはほとんど毎日通って技を磨いています。
中学生「自分が好きな事にここを通して出会う事ができたし色んな人と関りを持つことができた。」
こどもたちは大切なこの場所がより親しまれる施設になるよう、店の前に地域新聞を張り出すなど様々な活動を行っています。
中学生「いつもありがとうございますじゃん。ね?」「この楽しい空間を作ってくれて」才さん「模範解答はおうちより心地いいとか言ってくれれば良かったのに・・」
東京オリンピックを境に日本中で更なる盛り上がりを見せるスケートボード。才さんはスポーツとしての人気が高まっていてもその本質は何ら変わらないと話します。
才哲治さん「僕らからすると結局は何も変わっていないというのが正直でスケートボードはもともとベースになるのは遊びの部分で遊びは自由な発想から進化していくので。」
「遊びがベースになっているの事でスケートボードの凄さだったり素晴らしさだったり可能性は広がるので、みんなの近くにスケートボードがある環境を作って、そこからスケートボードが助けてくれる人、育ててくれる人たちを逃さないようにチャンスを与えたい。」
いつの日か未来のオリンピアンがここから誕生するかもしれません。
才哲治さん「スケートボードを大きくしていくような人が生まれてくれたらいいなと思います。僕が追求できなかったまだ分からない可能性もあると思うので、そういうのを見つけてくれる人になれば良いですね。」
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