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「私が殺した」 78年経っても癒えぬ傷 疎開船・対馬丸の悲劇を語り継ぐ

78年前に沈没した疎開船・対馬丸の生存者が自身の体験を語り、「人が人を殺す戦争は絶対に許さない」と訴えました。

国頭村安波出身の平良啓子さん(88)は、9歳だった国民学校4年生のときに家族や親戚と対馬丸に乗船しました。

▽平良啓子さん
「もうね、思い出したくもないんですけれども、バーンと爆発の音を聞いて。(周りに)家族が一人もいないんですよ、もう怖いです」

平良さんは海の中で従妹の宮城時子さん(当時10歳)と醤油樽にしがみついていましたが、時子さんは波に流されてしまい行方がわからなくなりました。

国頭村安波から乗船した40人のうち、生き延びたのはたった3人。

半年ぶりに故郷に帰り、最初に会った時子さんの母親にかけられた言葉が脳裏に焼き付いています。

▽平良啓子さん
「啓子、あんたは生きて帰ってきたね、うちの時子は太平洋に置いてきたの?って言われました。このショックは今も私の心の痛みとして持っているんです。時子は私が殺したんだと。私は(戦争の)被害者と思っていたら加害者だったんだ」
「私も長いこと生きているのも生かされているのも、(亡くなった)子どもたちが”語れ・語れ”と言うから、私は語らなくてはならないから生きなければならない」

平良さんは人が人を殺す戦争は絶対に許さないと訴え、これからも対馬丸の悲劇を語り継いでいきたいと力を込めました。

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