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中山きくさん 遺した言葉 託した思い

沖縄戦当時、看護要員として動員され負傷兵の看護にあたった中山さん。

解散命令が下されたあとは戦場を彷徨い、自決を試みるまで追い詰められました。

沖縄戦で学友22人を失った凄惨な記憶。

自らの体験を語れるようになるまで50年の歳月を必要としました。

「私たちは自分たちだけが生きているのがなんだか心苦しくてね。私は子ども4人に恵まれ一人ずつ慰霊祭に連れて行きました。そしたら亡くなったお友達のお母さんがうちの子を触ってね。あれ見たら辛くて辛く」

次世代を生きる人に戦争のある人生を歩ませまい。

語り部としての活動を25年以上も続けてきました。

「軍事基地は戦争につながるだけでなく人権侵害の最たるものであることは、沖縄戦で得た教訓。二度と沖縄が戦場になること、危険を取り除かなければならない」

新型コロナの影響で自主参拝となった去年6月23日の慰霊祭。

中山さんの姿は変わらず犠牲となった友の名が刻まれた白梅の塔にありました。

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻など、世界で過ちが繰り返されていることに胸を痛めていました。

「いまは悔しいですよ。どうして戦争というものを私たちは沖縄のためだからと言って一生懸命協力しましたからね。戦争体験者の思いを汲んで、そして戦争には正義はないと。とにかく話合いで解決していくように」

戦争に奪われた友の命のため、明日を生きる人々のため、力の限り言葉を紡いできた中山さん。

平和を願う想いを次世代に託し、旅立ちました。

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