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記者として政治家として見つめた沖縄の本土復帰と51年目の現実

5月15日で沖縄が本土に復帰して51年となりました。

アメリカに統治された沖縄で平和憲法の下へ帰ろうと祖国復帰運動が熱を帯びるなか沖縄側と本土側の代表団が北緯27度線の海上に結集した海上集会。

11年前、復帰40年に合わせて再現された海上集会を主催したのが当時の国頭村長・宮城久和さんです。

復帰当時は放送局の記者として取材活動をしていた宮城さんは本土復帰、そして今の沖縄をどうみているのでしょうか。

▽宮城久和さん(79)
「復帰と当時で言えば何が変わったのか。アメリカ軍が中心となって物事を進めていく。それを断ち切ったのが一つの運動として、こうした海上集会があったんだ」

1960年代、沖縄の祖国復帰を願い見えない国境があった北緯27度線で開かれていた海上集会。

11年前、本土復帰から40年の節目に再現された集会に宮城久和さんは国頭村長として参加しました。

▽国頭村・宮城久和村長 ※当時
「先輩たちが復帰に向けて活躍したその足跡をもう一度海上で確認したい」
「両方の船がだんだんと近づいてくる。40数年前の思いが奄美は先に帰りましたけど沖縄は・・・なんというか感情がこみあげてきましたよ」

1952年4月28日に発効されたサンフランシスコ講和条約で、戦後独立国として日本が主権を回復した一方、沖縄や奄美群島は日本の施政権から切り離されました。

度重なるアメリカ軍がらみの事件・事故やアメリカ民政府の強権的な施政運営に、本土復帰を望む声は大きなうねりとなりました。

運動の中核を担っていた教職員の政治行為を制約する教公二法が立法院に提出されると、成立を阻止しようと大規模な運動が展開されました。

宮城さんは当時NHK沖縄放送局の前身となる沖縄放送協会(OHK)の記者でした。

▽宮城久和さん
「屋良朝苗さんたちが教公二法を阻止するということで立法院の前に集まった。警察官が反対運動の人たちに引っ張り出される。騒然とした現場だった」

教職員たちのリーダーだったのが、のちに県民が選んだ初めての行政主席となり初代県知事を務めた屋良朝苗です。

▽宮城久和さん
「屋良さんの印象としては眉間にしわを寄せて、その印象しかない。なかなか笑った屋良さんというのは見たことはなかった。それだけ復帰前の沖縄は厳しい状況で、それを一人で苦悩を背負っているような感じに見えました」

屋良朝苗も間近で取材した宮城さん。復帰前後の時代や記者人生をこう振り返りました。

▽宮城久和さん
「できることはやってきたつもりけど、十分な記事を書くことはできなかったという思いもある。記者という職業を全うした自信がない。基地もない、核もない平和な島、即時無条件(沖縄)返還というのがスローガンでした。未だに基地はあるね」

NHKを退職したあと、宮城さんは本土復帰から40年の節目に地元国頭村の村長になり2期8年務めました。

宮城さんの任期中、豊かな生態系が息づく「やんばるの森」が世界自然遺産の候補となり、登録に向けた機運が高まります。

こうした中、国頭村・東村・大宜味村にまたがるアメリカ軍北部訓練場の一部を返還する動きが加速しますが、東村の高江集落の近くに新たに6つのヘリパッドを建設することが条件とされました。

▽宮城久和さん
「ぜひ返してほしい、その先にあるのはやんばるの世界自然遺産の登録。条件として高江の近い東村の住民に負担をかける。やっぱり心苦しい、何とか避けてほしいという願いはあった」

全国から動員した機動隊員で激しい抗議行動を抑え込み、ヘリパッドの建設は強行されていきました。

政府主催の返還式典を控えた2016年12月、北部訓練場でも運用されるオスプレイが名護市安部の海岸に墜落し、大きな衝撃が走りました。

▽宮城久和さん
「こんな時期にオスプレイが墜落して返還式典には臨めないと。結局は式典に出席して、悲惨な事故、オスプレイの事故を起こさないよう、集落の上空を飛ばないようお話し申し上げた」

北部訓練場は約半分の4000ヘクタールが返還され、日米両政府は「本土復帰後最大規模の返還」と沖縄の基地負担の軽減を強調しました。

しかし全国のアメリカ軍専用施設の沖縄に占める割合は返還前が74%だったのに対し返還後も70%と4%しか変わりませんでした。

その一方で、海洋進出を強める中国を念頭に自衛隊の南西シフトが進められ、与那国・宮古・石垣に陸上自衛隊の駐屯地が開設しました。

▽宮城久和さん
「静かな宮古・八重山が与那国も含めて要塞化されようとしている。僕は日本の防衛は必要だと思う。ただ専守防衛だから。敵地を攻撃する、そういう方向になりつつあるのでそこはなんとか食い止めたい」

本土復帰から半世紀あまり。記者として、政治家として時代のうつろいを見つめてきた宮城さんは今何を思うのでしょうか。

▽宮城久和さん
「復帰とは何だったのか。今でもよく言われます。復帰前と内実は変わらない。逆に機能が強化されている」

▽記者
Qこれからどういう沖縄になってほしいですか。

▽宮城久和さん
「あなた方若い人たちがテレビを通して訴えることで、よくみんなと一緒に考えて沖縄県の振興・発展につなげていってくれたら、復帰世代の人間として嬉しく思う」

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