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平良啓子さん死去 対馬丸の生存者で語り部

79年前、アメリカ軍の攻撃を受け沈没した対馬丸から生還し、平和の尊さを伝えるため自らの体験を語り続けてきた平良啓子さんが29日亡くなりました。88歳でした。

国頭村出身の平良啓子さんは、太平洋戦争の末期の1944年に疎開のため対馬丸に乗船しました。

対馬丸は沖縄から長崎に向かう途中にアメリカ軍の攻撃を受けて沈没し、平良さんは6日間にわたりいかだで漂流し九死に一生を得ましたが、一緒に乗船した兄と祖母、いとこを亡くしました。

対馬丸の犠牲者はおよそ1500人にのぼり、戦後、平良さんは命ある限り平和を紡ぎたいと県の内外で自らの体験を語り継いできました。

▽平良啓子さん:
「だから私が生きる意味というのは、生きている私はみんなの代表で生きているわけだから、こういうことが二度と起こらないように、戦争をしないように」

親族によりますと平良さんは29日、大動脈解離のため名護市内の病院で亡くなりました。88歳でした。

平良さんとともに語り部として活動してきた対馬丸記念会の高良政勝代表理事は、「当時の記憶を鮮明に語れる最後の一人だった。早すぎる死に呆然としている」と突然の訃報を悲しみました。

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