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フランス人の墓なのに”オランダ墓”? 沖縄・名護市で慰霊祭

琉球王朝時代の19世紀、沖縄に立ち寄った際に病死した外国人が葬られた墓で先週慰霊祭が行われました。

慰霊祭が行われたのは名護市の屋我地島にある通称・ウランダー墓です。

琉球王朝時代の1846年、フランスの艦隊が交易のために本島北部に寄港した際に2人の乗組員が病死したため、地域の住民たちが墓を構え手厚く葬ったと言われています。

フランス大使館シャルドン国防部官
「この墓の存在意義はとても深く、地域の方々が丁重に扱っていただき、フランスにとっても非常に重要で、沖縄との深い繋がりを感じています。心からの感謝の意をフランス大使館として、そしてフランス国民の思いとして伝えたいと思います」

運天原区・運天均区長
「物心ついたときからウランダー墓としてここにありまして、小さいときから結構遊びに来ていました。ここはウランダー墓ですけどフランス人(のお墓)ですよという事で。みんなで大切に守って行きましょうという事で頑張っています」

フランス人が眠る墓が、なぜ、ウランダー(オランダ)墓と呼ばれているのでしょうか。

在那覇フランス名誉領事・比嘉千春さん
「本来はフランス墓と呼ぶべきところですけど、当時の情勢として外国人は全てオランダ人として扱っていましたので”ウランダー墓”という名称が使われた。未来永劫フランスと日本、あるいは沖縄との友好関係の証として残ってもらいたい」

約170年前、祖国から遠く離れた沖縄の地で亡くなった外国人を思い住民たちがつくった墓が、フランスと沖縄を繋いでいます。

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