「えんどうの花」に「安里屋ユンタ」 未来へ紡ぐ宮良長包メロディー
石垣島に生まれ沖縄を代表する数々の歌を作曲し、沖縄音楽の先駆者ともいわれる宮良長包。代表曲「えんどうの花」をはじめ、琉球民謡を基に西洋音楽が絶妙に合わさった独自性、親しみやすいメロディーが人々に受け入れられ広まったとされています。こうした宮良長包のメロディーを後世へ伝えたいと、石垣島郷友会を中心に有志が集まり、5年ぶりに音楽祭が開かれます。
「安里屋ユンタ」、「えんどうの花」。そのほか古くから歌い継がれてきた沖縄を代表するこれらの歌が、すべて一人の作曲家から作られたものであるということを知る人は多くありません。
その作曲家の名は宮良長包。石垣町新川に生まれた長包は、沖縄師範学校を卒業後、郷里の小学校に赴任しました。教育実践の一環として作曲活動にも着手した長包は、八重山民謡の編曲や童謡など、その生涯で少なくとも177曲を作曲。「沖縄音楽界の父」「沖縄のフォスター」と呼ばれています。
長年、宮良長包を研究してきた大山伸子さんは、長包の魅力をこう話します。
大山伸子さん「童謡から歌曲、オーケストラ、いろいろな音楽のジャンルを曲を作っていますね。優しさもあるし情熱的なところもあるし、またユーモラスな曲もある。」
「二十歳になって、師範学校に行って本格的に西洋音楽を勉強しています。それまでは八重山で過ごしておりますから、民謡にどっぷり漬かって。民謡音楽の上に西洋音楽が乗っかって、非常にこう上手くそれが融合していると思います。だから長包の音楽って非常に独特なんですよね。」
宮良長包の楽曲を後世へ伝えたいという思いから八重山郷友会を中心に有志が集まり定期的に開催している「宮良長包生誕記念音楽祭」。
20年前の2003年に生誕120年記念から始まったこの音楽祭は、これまで130年、135年と3度開催されました。そして今回、今月18日には140年記念音楽祭が開催されます。
音楽祭を目前に控えた10月29日、この音楽祭のために結成された記念合唱団が練習に励んでいました。
森山恒子さん「(Q宮良長包の歌のどんなところが好き)ものすごく情緒があって本当に沖縄のぬくもりっていうんですか、なんだか景色が見えるんですよね。だから全て宮良長包の歌は大好きです。いつでも癒されます。」
浦崎直定さん「歌うこと自体も楽しみだし、その音楽祭を通じて宮良長包についても良く知りたいし、そしてこれから若いみなさんもしっかり聞いて、歌って広めて頂きたいと願っています。」
県内のイベントやテレビCMなどでも活躍する、人気バンド「きいやま商店」も今回、音楽祭に出演。石垣島出身の彼らも、宮良長包のメロディーを聴いて育ってきました。
きいやま商店・だいちゃん「やっぱり歌と踊りの島って石垣は言われていて、やっぱり先駆けっていうか、その一線にいた方だなって思っていますし。」
きいやま商店・マスト「何よりそのメロディーが、いつ作った、あの時代に作ったにしても今でも色あせないというか。」
リョーサ「長包さんも、たぶん試行錯誤、楽しみながら作ったと思うんですよ。あの時代。『これとこれ混ぜ合わしたら面白いんじゃない?』とか。俺達もそれをやっていて。自然に。」
マスト「長包さんに学ぶのは、やっぱり自分なんかの島の文化を、大事にしながら、それを中心に色々な音楽を取り入れるけど、自分なんかの真ん中の、中心の気持ちは無くさないようにするっていう、志し・信念は受け継いでいきたいですね。」
県出身の音楽家・会田牧子さん。実は会田さんは、宮良長包のひ孫にあたる血筋。
プラハ音楽院を経て、国立プラハ音楽アカデミー学士課程・修士課程を卒業。国際的なピアノコンクールで数々の賞を受賞し、現在もプラハで暮らし世界的に活躍しています。
今回、縁あって宮良長包記念音楽祭に初めて参加するため帰郷しました。
会田牧子さん「子供のころはそんなに深く考えることは無く、例えばよく聴かれる『えんどうの花』だとか、そういったみんながよく知っているようなメロディーの曲を聴いて心地よいとか好きだなっていう風に思っていて。」
「その後で自分がもっと年齢を重ねて現在に至ると、同じ職業の人間として本当にすごいことだなと、改めて思うことがあります。」
「彼の曲を人前で演奏するっていうのは公の場で演奏するのは、たぶん一回目になるんじゃないかと。宮良長包独特の、さまざまな楽曲がある。それを私たち演奏者と一緒に会場のみなさんが楽しんで、日常に戻られても日々そのメロディーを思い出したり口ずさんだり、これからもずっと宮良長包の曲を愛し続けて頂けたら本当に素敵なことだなと思っています。」
クラシック、ロックバンド、合唱など、さまざまなジャンルや人々に世代を超えて歌われていく宮良長包メロディー。その魂はこれまでも、これからも様々な形で紡がれていきます。
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