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62年前の米軍ジェット機墜落 事故の記憶をつなぐ
うるま市の川崎にアメリカ軍のジェット機が墜落し2人が死亡した事故から7日で62年となり、現場近くの小学校では事故の記憶をつないでいこうと平和集会が開かれました。
1961年12月7日、うるま市の川崎小学校からわずか300メートルの場所にアメリカ軍のジェット機が墜落。
2人が死亡し小学生を含む6人が重軽傷を負いました。
川崎小学校では7日平和集会が開かれ、当時小学生で事故を目撃した佐々木末子さんが当時のことを語りました。
佐々木末子さん
「低空飛行してきたのであの飛行機落ちるぞということで友達みんな逃げました」
凄惨な光景を目の当たりにした佐々木さんと友人らはこの記憶に長い間蓋をしていました。
「バーンと鳴ってこの奥の方で地面から天まで届くような黒煙が。事故が起こって40年ほど話したことは無かった。誰も聞こうとしないし話そうとしなかった」
記憶の継承に取り組む又吉法尚さんは屋久島沖で起きたオスプレイの墜落と62年前の事故を重ねました。
又吉法尚さん
「もし沖縄に落ちていたら、皆さんの上空に落ちていたらどうなってたんだろう。また(ジェット機)飛んでるね。本当にこれが今の沖縄の現状です」
川崎小学校・大城舞花さん(6年)
「話を聞いて墜落を目撃した人の胸の痛みとか心の傷とか恐怖とかを味わって。お話をしていた時にもジェット機は飛んでいたので、どんな思いなのかなと複雑な気持ちになりました」
川崎小学校では2人の証言を壁新聞にまとめ事故の記憶を語り継ぎます。
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