公開日

沖縄建築の”先駆者” 仲座久雄のレガシー

先月24日、那覇市大道の「沖縄ホテル」が国の登録有形文化財となりました。戦後にできた建築物の登録は県内で初めてです。

沖縄建築の先駆者が手がけた建物が今に伝えるものとは。

那覇市大道。石垣に挟まれた細道を抜けて鮮やかな赤瓦の門をくぐった先にある「沖縄ホテル」。

沖縄らしい景観や今に伝わる沖縄建築文化のデザイン設計の先駆けとして、この度、国の登録有形文化財となりました。

沖縄ホテルは沖縄初の観光ホテルとして1941年に那覇市の波上で開業しました。

国の要人や時の総理大臣なども宿泊した沖縄ホテルでしたが、戦世の波は容赦なく那覇の街を飲み込んでいきました。

沖縄ホテル・宮里公宜支配人
「戦前に波之上に創業して、悲しくも戦争で建物も全てなくなっしまいまして、昭和26年この場所で第二創業をしました」

創業82年、沖縄で最も歴史ある沖縄ホテルを取り仕切るのは三代目の宮里公宜さんです。

老舗のホテルには、濱田庄司や山下清、岡本太郎といった芸術界の巨匠たちにも愛されてきました。

ホテルには巨匠にまつわるあるものも残されています。

沖縄ホテル・宮里公宜支配人
「こちらが棟方志功の作品でございます。長期に渡り宿泊していて、チェックアウトのときに、宿泊代金の代わりに受け取ってくださいと言ったと聞いています」

その沖縄ホテルで今回、文化財として4つの施設が登録されました。

1951年に沖縄ホテルの営業再開を支えた稀少なレンガ造りの建物は、戦後、沖縄のホテル発祥としてその価値が認められています。

棟現在も宿泊できる旅館棟には沖縄建築の特徴である花ブロックや突き出した庇など、今に生きる沖縄建築の設計デザインを見る事ができます。

沖縄ホテル・宮里公宜支配人
「このぐらい長い石垣は那覇市内になかなかないということで、文化庁からの国土の空間に景観に寄与しているという事で認定いただきました」

赤瓦で葺かれた屋根に、全長92mの琉球石灰岩の石垣や守礼門のデザインにも通じる赤瓦葺きの大道門は、沖縄らしい景観で利用客を迎え入れます。

沖縄ホテル・宮里公宜支配人
「本当に沖縄の気候に沿った建築技術を考えた仲座さんがすごいなと思います。本当に創業者と仲座久雄さんの縁というのは素晴らしい。本当に価値のある縁だったなって思います」

登録された文化財の中でも旅館棟と、瓦石垣、大道門を手がけたのが、戦前から戦後にかけて活躍した建築家・仲座久雄です。

琉球王国時代に建造された守礼門の修復に携わった経験から、戦禍に飲まれた守礼門を1957年に復元させました。

ほかにも園比屋武御嶽や、崇元寺石門など数々の沖縄の文化財を復元。

琉球王国から続くこの島の建築文化を仲座久雄が戦前から戦後に繋いだのです。

その仲座が目指したのが、沖縄にふさわしい建築の姿でした。

沖縄ホテル・宮里公宜支配人
「花ブロックを発案した設計士なので、その発案をするときの原型の花ブロックがこちらのうちのホテルにはあります」

仲座久雄が考案した花ブロック(中空ブロック)は今では様々なデザインが世に生み出され、沖縄建築の大きな特徴の1つとなっています。

沖縄ホテル・宮里公宜支配人
「花ブロックの本当の役割っていうのは沖縄の日差しを和らげるし、かつ沖縄の軽やかな風を屋内まで届けられるっている合理的な壁になりますので、風通しがいいのですごく雰囲気的にはいいし、中に入っても涼しいですよ」

沖縄を訪れる観光客を、仲座は沖縄の風土と文化をもって迎え入れるよう設計しました。

戦後の建築物としては県内で初めて国の登録有形文化財となった「沖縄ホテル」。

戦前から沖縄の観光を見つめ続けてきた歴史がそこにあります。

沖縄ホテル・宮里公宜支配人
「正直に嬉しいという気持ちです。戦争直後のレンガ作りの建物や復帰前に作られた建物、沖縄の観光はそういった歴史的要素も注目して欲しいという思いで、濃くなった沖縄の歴史がうちのホテルで感じていただければいいなと思っております」

街に佇む建築は、静かに、私たちに沖縄という土地の風土と歴史を伝えてくれています。

あわせて読みたい記事 ヤンバルクイナ

あなたへおすすめ! クマノミ 小 クマノミ 大きい