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第32軍司令部壕が県史跡に 沖縄戦の実相示す永遠の語り部として

旧日本軍が首里城の地下に造った第32軍司令部壕の一部が29日沖縄戦の戦争遺跡として初めて県の史跡に指定されました。司令部壕の保存と公開に尽力してきた沖縄戦体験者は沖縄戦の実相を示す永遠の語り部となるだろうと喜びをかみしめました。

第32軍司令部壕は、79年前の沖縄戦を指揮した第32軍によって首里城の地下に造られました。総延長1キロにも及ぶ壕の構築には住民や鉄血勤皇隊の少年たちが動員されました。

これまでの調査で首里城の北側に3か所、南側に2か所の出入口と司令官室や参謀室などにつながる坑道があったことが確認されていて、県は内部の状況が確認できる第2、第3坑道と第5坑口および坑道の一部を29日県の史跡に指定しました。

指定にあたって県はアメリカ軍との凄惨な地上戦が繰り広げられる中、本土決戦までの時間稼ぎのために「南部撤退」を決めた場であり、沖縄戦の実相を伝える極めて重要な戦跡であるとしています。

玉城知事「戦争体験や教訓の風化が懸念される中で、戦争の不条理さ、残酷さ、醜悪さを知るとともに平和の尊さを伝える重要な遺跡であります。」

県の史跡になったことを沖縄戦の体験者も喜んでいます。

「20年余にわたる私の運動の1つがやっと実ったということでこんなに嬉しいことはありません。」

司令部壕の保存と公開を求めてきた名桜大学の元学長瀬名波榮喜さんは戦後80年を前に戦跡して指定された意義を強調しました。

「生存者がもうわずかしかいないんですよ。人間の記憶というのは消えていく。戦跡として永遠に残る。それを沖縄戦の実相を示す語り部にしてもらう。」

「沖縄戦が追体験されて、再び戦争のない世界を作ろうという気持ちになるのではないか。」

沖縄戦に関連する戦争遺跡が県の史跡に指定されるのは初めてです。残りの第1坑道などは今後の調査結果に基づき指定が検討され、戦争の負の遺産である第32軍司令部壕は「平和の砦」として新たな一歩を踏み出しました。

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