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南風原文化センター元館長大城和喜さん「平和への思いが揺らぐことはない」

ひめゆりの塔の説明をめぐる国会議員の発言について「背中から切りつけられるような思いだった」と話すのは南風原文化センターの元館長大城和喜さんです。
沖縄陸軍病院南風原壕の文化財指定の実現などに第一線で携わってきた大城さんは、戦争を語れる人がいなくなっても、残された戦争遺跡が語り続け記憶は消えることはないと訴えています。

大城和喜さん:
発言を聞いて、頷く沖縄の人はおそらくいないでしょうね。後ろから、背中から切りつけられるような発言でしたね

平和を考える拠点の1つ南風原文化センターの設立に尽力し、初代館長を務めた大城和喜さん。
長年にわたり、地元の戦災調査や戦争遺跡の保護・活用に携わってきました。

大城和喜さん:
私たちも陸軍病院壕を調査して、各字の戦争も全てまとめて、学童疎開とかいっぱい調査をして証言に基づいてそういうものを記録してきた

南風原文化センターには、80年前の沖縄戦で大勢の負傷兵が運び込まれひめゆり学徒隊が看護にあたった沖縄陸軍病院南風原壕を再現する展示が設けられています。

しかし、1989年の開館当初は、戦争の正当性を主張する1部の人から「照明の暗さが違う」、「実際の壕のサイズではない」などと論点が異なる難癖をつけられ、展示を否定されたといいます。

大城和喜さん:
”これも嘘でしょう””みなさんは事実ではないものを展示しています”と言いがかりというか嫌がらせがありました。日本軍の、日本兵の「負」を展示するものについて攻撃してくる

ひめゆりの塔の説明をめぐって、沖縄の信念に傷を付ける心無い発言に対し、直ちに怒りの声を上げた人たちのうねりと結束は「大きな希望だ」と大城さんは話します。

大城和喜さん:
やっぱりひめゆりは非常に力を持っていると改めて理解しました。それくらいひめゆりは、沖縄県民に深く認識されている。絶対に忘れてはいけないと。まだ沖縄の良心は生きている

戦後およそ40年が経とうとしていた頃、南風原町では沖縄戦研究の第1人者、吉浜忍さん(享年74)を先頭に地元の高校生や住民たちが地域の戦争体験者の自宅を1軒1軒訪ね、証言の記録が行われました。

さらに、沖縄戦を語れる体験者がいなくなる将来も見据え、「戦争遺跡に記憶を託す」ことが推し進められました。

1990年、沖縄陸軍病院南風原壕を町の文化財に指定。戦争遺跡の文化財指定は全国で初めてのことでした。

大城和喜さん:
戦争遺跡がものを語る。「戦争の現場」ですよね。戦争遺跡というのは。壕に入るとやっぱり感じるものがある。教育、証言、資料、映像は体験者ではないけれど。第2次的な体験者

沖縄の人たちのたゆまぬ努力によって残されてきたものがある限り、沖縄戦の終結から長い歳月が経過しても、記憶や平和への思いが揺らぐことはないと大城さんは確信しています。

大城和喜さん:
沖縄戦の継承というのは、知識ではないと思う。「感性」。悪いものは悪い、間違っているものは間違っているという感じる感性。知恵や知識も大事だけど、そういう感性を育てるような方法を見つけ出したい

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