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不発弾と沖縄 事故これまでも
沖縄県によりますと、県内には未だ1.800トン余りの不発弾が埋没していると推定されています。
これまでに不発弾が爆発し幼い子どもが犠牲になるなど沖縄戦の負の遺産は県民の生活に大きな影響を与えてきました。
1974年3月2日、那覇市小禄にあった聖マタイ幼稚園に近い工事現場で不発弾が爆発し幼児を含む4人が死亡、34人が重軽傷を負い家屋86棟、車両51台が全半壊し復帰後最悪の不発弾事故となりました。
また2009年には糸満市の工事現場で不発弾が爆発。作業をしていた男性が重傷を負ったほか、近くの高齢者施設の窓ガラスが割れるなどの被害が出ました。
県内ではこれまでに12件の不発弾事故が起きています。
陸上自衛隊が処理した不発弾は沖縄の本土復帰後、40,322件、1,892トンに上っています。
3月には船の航行を禁止し那覇港で見つかった24発の不発弾の海中爆破処理が実施されました。
2024年9月には那覇市首里山川町の住宅街でアメリカ製250キロの不発弾が処理され、およそ1400人住民が避難の対象となるなど不発弾の問題はいまも県民生活に大きな影響を及ぼし続けています。
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