戦後80年特別シンポジウム 戦争の負の遺産を次の世代に残さない不発弾がなくなるその日まで
沖縄戦から81年が経過しても地中にはいまだに多くの不発弾が残されています。「不発弾の犠牲は戦争の2次被害だ」「全て撤去されない限り戦争は終わらない」戦争の負の遺産を次の世代に残さないためには…20日那覇市でシンポジウムが開かれました。
沖縄県が主催した不発弾に関するシンポジウムには、戦後間もない1946年に浜辺で拾った不発弾の爆発により、手の指を合わせて7本失った名嘉地義昭さんが当時の体験を語りました。
不発弾事故経験者 名嘉地義昭さん:
海に放っておいても危ないと思い家に持って帰って、土の中に埋めようと(家で)バケツに水を入れてその中に不発弾を入れて
保管していた不発弾で弟たちが遊んでいるのを発見し、取り上げた直後に爆発しました。
不発弾事故経験者 名嘉地義昭さん:
不発弾が撤去されない限り戦争が終わったとは言えません
名嘉地さんは全ての不発弾が撤去されることを願いました。
また、1974年に那覇市小禄の聖マタイ幼稚園近くの工事現場で起きた不発弾の爆発事故を目撃した田島勝さんは、いまでもショックは消えることがないと証言しました。
聖マタイ幼稚園 不発弾事故関係 者田島勝さん:
『子どもが(爆発で開いた)穴に埋まった、ここにいる』という声で自分も同僚たちと子どもを救おうということで手渡しで2人は穴からすくいあげたことは覚えていますが、そのとき子どもをみたら顔が真っ青で
4人が死亡し34人が負傷した戦後最悪の不発弾事故でした。
田島勝さん:
戦争の二次被害だろうというその悔しさというのはずっといまでも思いながら…
県によりますと、県内には未だ1800トン余りの不発弾が地中に埋まっていると推定しています。
パネルディスカッションで池田副知事は「不発弾の危険性について若い世代にも正しく伝え県民の安心・安全を守るために取り組んでいく」と話しました。
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