離れ離れになった娘 キューバ移民3世が辿る祖父の故郷・奥武島
JICAの研修で沖縄を訪れていたキューバ移民3世セラーノ・津波古・トシ・リゴベルトさん。自分のルーツを探る旅で祖父の故郷、奥武島を訪ねました。そこでは時代に翻弄され2つの島に分かれた家族の92年越しの出会いがありました。
沖縄研修に参加したキューバ移民3世セラーノ・津波古・トシ・リゴベルトさん。トシさんはこの沖縄の度で自分のルーツについて様々な情報を知ることになりました。
トシさん「1931年にキューバへ渡った祖父のことはある程度は知っていましたが、図書館へ行くと新たな事実を説明し提供してくれました。」
自分のルーツ祖父・千松さんについて新たな情報を知ったトシさん。おきなわ研修の最終日にある場所へ向かいました。
そこは祖父・千松さんの生まれ故郷、奥武島でした。
トシさんの叔母にあたる千松さんの長女・富美さんが暮らしているのです。
富美さん「トシあがりなさい。」
トシさん「孫としては帽が初めて祖父の故郷の島に来られてほんとうに幸せを感じています。」
「富美さんが3歳の時、千松おじいさんはキューバに行ったんですよね。お父さんの顔は送られてきた写真で覚えたんですか?」
富美さん「そうですよ。」
富美さんの家には、キューバで撮影された津波古家の家族写真が飾ってありました。でもそこに富美さんは写っていません。
写真の子どもたちはキューバに行ってから誕生した兄弟。生まれたばかりの長女・富美さんを奥武島に残して両親はキューバに働きに行ったのです。
富美さん「出稼ぎのつもりだったから、生まれたばかりの自分はおじいとおばあに預けられて・・。」
「落ち着いたら呼ぶつもりだったみたいだけど大東亜戦争が起きてできなかったわけよ・・。」
20年以上前、沖縄テレビはトシさんの叔父さんにあたる津波古千代松さんにキューバでインタビューしていました。※世界のウチナーンチュ紀行より<2000年12月18日放送「キューバ・離島に生きるウチナーンチュ末裔」>
戦争が終わったあと革命が起きて社会主義国となったキューバ。千松さんが必死で働いて蓄えた財産は没収されてしまいました。
沖縄へ帰りたい千松さんの思いは結局叶わず、長女の富美さんとは最後まで離れ離れのままでした。
トシさん「富美おばさんは戦争のあと学校には行けたんですか?」
富美さん「(お父さん)は大学までは活かすと言っていたけど、だぁ、戦が始まったからもう仕送りができないから。調理師学校は出たさ。」
食べきれないほど並んだ奥武島名物の天ぷらを食べていたトシさん。突然、感極まって泣き出してしまいました。
通訳「千松お父さんを恨んだりしてませんか?って聞いてます。」
<優しく笑う富美さん。富美さんを抱きしめるトシさん>
トシさんは帰りたくても帰れなかった千松おじいさんを一緒に連れて沖縄に帰ってきたつもりだと話していて、沖縄に残してきた娘の富美さんにお父さんを逢わせることができたようだと感激していました。
トシさんは沖縄の旅で知ったおじいさんの事をきちんと書き残して親族にも伝えることにしています。
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