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「あの惨事をどうしても伝え継いでいかないといけない」集団自決のあった渡嘉敷村で慰霊祭

79年前の沖縄戦でアメリカ軍が上陸し住民の強制集団死、いわゆる集団自決が起こった渡嘉敷村で28日慰霊祭が執り行われ、犠牲者の遺族たちが平和への祈りを捧げました。

1945年3月、アメリカ軍は沖縄本島に先立って慶良間諸島に上陸しました。

渡嘉敷島では山の中に追い込まれた住民が、旧日本軍から配られた手りゅう弾を使って自ら命を絶ったほか、家族の首を縄で絞めたり、鎌や鍬で切りつけるなど互いに手をかけた強制集団死、いわゆる集団自決が起きました。

その悲劇から79年となった28日、およそ600人の犠牲者の名前が刻まれている白玉之塔では慰霊祭が執り行われ、遺族たちが花を供えました。

当時8歳だった新里武光さん(87):
「せめて少しでも亡くなった人たちの心に捧げるような花束をつくった」「渡嘉敷のツツジだから、(花を)見て心を癒してねと」

当時2歳だった金城健一さん(81):
「おふくろにおんぶされていた。その瞬間だけは覚えている」「みんなが亡くなったのが無駄にならないように、これから生きている人たちの安寧をお願いした」

当時6歳だった吉川嘉勝さん(85):
「今の世界の状況を見ていると、人類は何のために生まれてくるのかと」「あの惨事をどうしても伝え継いでいかないといけないという気持ち」

参列した遺族や関係者は、静かに手をあわせこれからも平和が続くように祈りを捧げていました。

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