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「10・10空襲」から80年 体験者「無差別攻撃」だった

米軍が南西諸島の各地を攻撃し、那覇の街の9割が焼失した「10・10空襲」からきょうで80年となります。炎上する街を目の当たりにした男性は「無差別攻撃」だったと空襲の体験を語りました。

▽喜屋武奈鶴記者:
「80年前のきょう、沖縄の空に突如現れたのは米軍の艦載機や爆撃機、約1400機でした。沖縄各地を襲った10・10空襲は沖縄戦の始まりと語られ、日本軍の施設だけでなく市街地も無差別に攻撃されました」

沖縄戦の前年、1944年10月10日、米軍は延べ1400機の艦載機を投入し、南西諸島の主な島々を攻撃しました。
「10・10空襲」です。

▽金城重正さん(93):
「まさか10月10日、米軍だとは思わなかった。」

当時13歳だった那覇市に住む金城重正さん(93)です。
空襲が始まった早朝は、那覇港で渡し舟に乗り、登校する途中でした。

▽金城重正さん(93):
「沢山の飛行機が来る。沖に停泊している日本の軍艦、そこにどんどん爆弾が落ちて燃えるわけ。」

命からがら金城さんが逃げ込んだのは軽便鉄道の那覇駅、現在の那覇バスターミナルにあった防空壕でした。

▽金城重正さん(93):
「無差別攻撃だよ。那覇の市内を見たら、みんな燃えて。炎で。これはもう大変だなと。」

5次にわたる空襲で、那覇の街は9割が焼け野原となり、255人が犠牲になりました。

米軍が南西諸島を攻撃した10・10空襲は沖縄戦の前哨戦とも位置付けられ、80年目となったきょうは各地で慰霊祭が開かれます。

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