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新里 一樹

新里 一樹

沖縄の社会問題。母子家庭の私が感じていたコンプレックス

新里一樹 Me We OKINAWA

目次

幼少期の記憶

私には父親がいない。これが学生時代の私にとっては強烈なコンプレックスとなった。父親がいないという事を友人など身近な人へ伝えられるようになったのは、成人してずっと後のことである。

一年で最も嫌いな日は「父の日」だった。席の隣に座っている子はスラスラとお父さんの優しい笑顔を書いているのに、私の画用紙はいつまでたっても真っ白のまま。仕方がないので母の絵を書いて提出した。追い打ちをかけるように、お父さんの絵が教室に掲示される。「もうやめてくれ」という気持ちだった。
確かに、私だけが母子家庭というわけではなかった。同級生にも母子家庭の子は存在した。寂しさからの反発か、非行に走る同級生もいた。そんな時に聞こえてきた大人の反応は「あいつは母子家庭だから怒る人が家にいないんだ」というものだった。

これが心底悔しく、こういうことを言われたくないがために、いつしか「こういう大人にはなりたくない」と反発心を抱くようにもなっていた。

だけど本当は、怒る人が家にいないから非行に走るのではなく、寂しさを紛らわせるためであり、自分自身のアイデンティティを示すためだと思う。そんなことは同じ境遇の同級生もみんな分かっていた。

繁華街のイメージ

母子家庭は私だけじゃなかった

小学生のある時、近所の球場にプロ野球球団が春季キャンプに来ている事を聞いて見学にいった。ルールもよく分からないまま外野スタンドでボーッと眺めていたら、向こうから選手が近づいてきてサインボールと帽子をくれた。初めて間近で見るプロ野球選手は、とにかく大きくてカッコよかった。「あ、お父さんってこんな感じなんだろうな」と憧れに似た感覚を覚えた。

それから私は学生時代を通して野球に打ち込むことになった。それはあの時の名前も分からないプロ野球選手に父親像を見たのと同時に、やはり寂しさを紛らわせ、自分のアイデンティティを示すためだったのだろう。

少年野球のイメージ

母がしっかり働いていたので経済的な苦しさは感じなかったが、それでも常に精神的な寂しさはあった。

だけど、こういった母子家庭ならではの経験談は特に珍しいことではないかもしれない。というのも、沖縄県の離婚率は全国ワースト1位を継続中だ。沖縄県の人口1,000人あたりの離婚率は2.52%となっており、同全国平均の1.69%と比較すると約1.5倍多い値となっている。(出典:総務省統計局「都道府県別出生・死亡数と婚姻・離婚件数」2019年)

こういった要因から沖縄県の父子・母子世帯といったひとり親世帯の出現率は5.62%(=父子・母子世帯÷総世帯数)で平成27年の全国平均1.57%と比較しても高い。(出典:沖縄県「沖縄県ひとり親世帯等実態調査報告書」2018年)

40名を1クラスと仮定したとき5%という数字は、大体1クラスに1~2名くらいのひとり親世帯があることを示す。例えば、40名で5クラスが一学年だった時、全国平均では一学年に1~2名なのでやはりクラスで1~2名は多いと感じる。

アイデンティティの探求

私の体験談に話を戻す。

小学校低学年まで学校から帰ると母が帰宅するまで伯叔父母の家に預けられた。叔母は既に他界してしまったが、果物や野菜、花が大好きで、南国沖縄の珍しい果物や野菜を”あたいぐゎー”と呼ばれる今でいう家庭菜園で育てていた。いま覚えているだけでも、アテス(釈迦頭)、カニステル、ヒハツ、キャッサバ(タピオカ)、コーヒー、長命草、アロエ、アセロラ、グヮバ、シークヮーサー、ゴレンシ、島ニンジン、パパイヤ、ニガナ、パッションフルーツなど、これだけの種類があった。

シークヮーサーのイメージ

季節ごとにこれらの食材が預けられた伯叔父母の食卓に並んでいて、果物は私のおやつにもなった(本当は市販のお菓子を食べたかったが)。

また、夜になると母親が仕事から帰ってくるまでの間、叔母は南国果物図鑑を取り出しニコニコしながら広げ私に見せては、「これも美味しかった」「これは一度食べてみたい」などと良く話をしてくれたものだ。必然的に学校の先生よりも南国の果物や野菜には詳しくなった。あまりにも珍しいからと学校に持ってきてほしいと言われて、教室に展示された食材もいくつかあったと記憶している。

時は流れ、成人式を迎えた朝に母親から「母子家庭で育ててしまって悪かった」と謝られた。だけど、そんな謝罪は不要で、むしろ母には感謝している。不登校気味になったり、夜遅くまで遊び歩いた私の事を、ただただ辛抱強く、見守ってくれたのも母である。

いつしか、私も結婚して子を持つようになった。今日、私を形成しているのは、あの時大人たちに「怒る人が家にいないから非行に走るんだ」と一方的に言われた悔しさ、「自分のアイデンティティがどこにあるのか分からない」劣等感、「南国沖縄の果物や野菜に囲まれて育った」体験であり、加えて今は、「父親像がない自分が子供たちに父親としての背中をどうみせていくべきか」と模索する毎日である。

このような私の拠り所となっているのは、大学生の頃に誓いを立てた「沖縄の経済に貢献すること」、そして「沖縄の食材の魅力を世界に発信していきたい」という2点である。これらは父親がいないことによる幼少期の悔しさや劣等感、そして叔母の存在からくるものだと思う。

過去にとらわれず、私たちが沖縄の未来を創る

そんな自分がOKITIVEのコラム執筆を仰せつかる事になったのだが、このコラムでは私の拠り所になっている上記の2点から、自らの経験談をベースに発信していきたいと考えている。

ひとり親世帯でなくても、幼少期の経済的な苦しさや、精神的な苦しさ寂しさ、悔しさ、何らかの劣等感を感じていた方は多くいると思う。これらをバネにすることで、苦しかったあの頃とは一線を引くことができるし、何かに貢献し、アイデンティティを見出す事ができると私は信じている。

沖縄県は今、私たちが目指す沖縄の未来と社会のあり方として「稼ぐ力」を掲げている。沖縄県のホームページには「経済発展が貧困などの社会問題を解決し得るキーワードとなり、多様な生き方や選択肢の幅を広げる事となる」と綴られている。私のような母子家庭で育った人間からすると非常に頼もしく、また、私も沖縄の片隅で「稼ぐ力」の実現に貢献していきたいとも思う。

この場をお借りして、私が現在取り組んでいる「沖縄在来食材の産業化」については早々に発信したいと思うが、まずは沖縄にある豊富な機能性食材の魅力について次回は書いていきたい。

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