公開日
OKITIVE編集部

OKITIVE編集部

YouTuberドクター濱元誠栄さん

ユーチューブを撮影している濱元さん

「2人に1人ががんになるという時代でがんにならない2分の1に入るようにする方法はあるのでしょうか?」

「ゼロがんch、チャンネル登録よろしくお願いします!」

そうYouTubeで語りかけるのは、宮古島出身の医師・濱元誠栄さん。
現在東京・銀座でがん治療を専門にする「銀座みやこクリニック」を運営するかたわら、診療の合間をぬって毎日ブログを更新。さらに週に1回のペースでYouTubeで自身が研究してきた、がんに関する知識を発信している。

心疾患、脳血管疾患とならび、日本人の死因の上位を占める三大疾病のひとつとされる「がん」。
濱元さんが発信する動画の中には、57万回再生もあることから、人々の関心は高い。過去には全国区のテレビ番組に出演した経験をもつ濱元さん。今年は出身地である沖縄のローカル番組「Dokyoハブストーリー」にも出演した。

テレビの視聴率だけでなく、SNSのフォロワーなどメディアの人以上に知識が高い医療系YouTuberは普段どうやって誕生したのだろうか、OKITIVE取材班が銀座のクリニックにおじゃました。

銀座みやこクリニック院長 濱元誠栄さん
「元々はへき地医療を希望していた」

映画「赤ひげ」や、ドラマ「Drコトー診療所」などの影響で、患者とその家族全員の主治医となり、地域で求められるすべての診療に対応し、自分が看取る…そんな将来を描いていたという濱元さん。

2001年沖縄県立中部病院での研修医生活をスタートし、
2007年、故郷である宮古島の県立宮古病院で外科医として独り立ちした。

中学時代の濱元さん
高校は鹿児島の名門校に進学。柔道に打ち込んだ。
2001年沖縄県立中部病院で研修医生活をスタート
仲間と共に忙しくも充実した日々を過ごす

多忙な日々を極めながらも島に貢献できる喜びを実感した濱元さん。
ただ、濱元さんが子どもの頃と比べて医療体制も充実し、すでに宮古島はへき地では無くなっていた。また、医療の発展に伴い、専門性の高い医療の細分化が求められるようになってきたという。同じころ宮古島では沖縄有数のリゾート地として、航空路線をはじめ、様々な社会インフラが整備されはじめていた。

銀座みやこクリニック院長 濱元誠栄さん
「就学・進学で宮古島を出て、沖縄本島や本土で暮らす人々も多くなった。親族を頼って島外の病院へ行くという選択肢が当たり前になった。」

当初追い求めていた医師としての理想像と、宮古島で求められる医療が合わなくなったと感じていた濱元さんは、日本の最先端を学ぼうと宮古島を出ることになった。

銀座みやこクリニックで日々患者と向き合う

銀座みやこクリニック院長 濱元誠栄さん
「若くしてがんを患う人もいる。藁にもすがる思いで頼ってくる患者やその家族に応えたい。」

その後、がん専門病院や訪問診療での看取り、時には透析治療など、全国各地で様々な医療活動に従事した濱元さんが、たどり着いたのが「がんの遺伝子治療」だ。
今から5年ほど前に銀座にクリニックを開業し、病気で苦しむ患者やその家族と向き合っている。

銀座みやこクリニック院長 濱元誠栄さん
「『どんなに医療が発展しても最期は宮古島で…』と、
ある患者さんが沖縄本島でがんの治療を受けたが、宮古島に戻れずに沖縄本島のホスピスで最期を迎えた。
そのご家族が涙ながらに「宮古島にホスピスがあれば」と訴えていた。」

濱元さんは、育ててくれた宮古島への恩返しとして、宮古島で最期を迎えるためのホスピス病院を計画している。

銀座みやこクリニック院長 濱元誠栄さん
「一番大事なことは、がんについての知識を持つこと」

濱元さんによると、沖縄は食習慣や運動不足もあいまって大腸がんが多いという。
情報通信が進化する中、医師も多様化が必要と考えている。
ブログやYouTube(または動画配信サイト)で情報発信することで予防への意識を高めてもらえるかもしれないと、動画の内容にも知恵を絞っている。

宮古島が生んだYouTuberドクターの次のコンテンツが待ち遠しい。

銀座みやこクリニック院長 濱元誠栄さん

あわせて読みたい記事

HY 366日が月9ドラマに…

あなたへおすすめ!