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世界9位の実力!キッズパフォーマー照屋礼さんがこま・けん玉を始めたきっかけとは。
目次
「目標はみんなを楽しませるパフォーマーになること」と語る照屋礼さんをご存知ですか。小学5年生でこまの大会で全国優勝し、ITSAワールド・スピントップ・オンライン・コンテスト2020では伝統フリースタイル部門で世界9位に輝いた10代パフォーマーです。照屋さんはどんなきっかけでこまやけん玉に目覚めたのでしょう。お話をうかがいました。
こまとの出会い
――こまを始めたきっかけを教えてください。
「最初にこまを始めたのは、実は小学生より早い保育園のころ、6歳くらいです。友達がこまをし始めて、周りの子が『俺も、俺も』って広がって5人くらいこまの仲間ができて。ちょうどその頃、うどん屋のお子さまセットの景品でこまをもらえたんです。それで自分も集まりに参加して、ちょっとだけまわしていたっていう。本格的に始めたのはその1年後、頭にこまを回している学童指導員がいて、それを見て『俺もやりたい!』って始めました。」
――最初はただ楽しく遊んでいて、その後運命的に出会った指導員のタケコプターを見てからどっぷり入っていったんですね。
「でも、タケコプターができるようになるには結構時間がかかりましたね。3年くらいかかったかな。」
――こまの種類によってできる、できないはあるんですか?
「ありますね。先がとがっているこまだとやりやすいんですけど、ブリキの缶こまや軽いこまだと落ちちゃう。」
――小学生でこまの全国大会に出場したお話を教えてください。
「こまには日本こままわし協会の検定があるんですが、当時、沖縄県でこまの段を持っている人がいなくて。自分が挑戦して最初の段位保持者になりました。他にも何かチャレンジできることがないかなって探したら、全国大会があったので出場してみました。それで初めて出た大会で6位入賞しました。」
――すごいですね。けん玉に関しては、学校の建て替えがきっかけだと伺いました。それまでは興味はなかったんですか?
「全くなかったです。たまに学童でけん玉をしていましたけどね。学校の建て替えで遊ぶものがなかった時に、完全にハマりました。」
コロナ禍はどの様にすごしていましたか?
――この2年ほどコロナ禍で苦労されたことも多いと思います。
「自分の中で一番悔しかったのは、全日本こま技選手権大会に出られなかったこと。小学5年生の頃に全国大会で優勝したんですけど、小6でも優勝して2連覇しようと思っていたのに、コロナのせいで出られなくなってしまったのが悔しかったですね。あと、コロナ禍はほとんど外出できなくて、友達とも遊びに行けなくなりました。」
――逆によかったことはありますか?
「そういえば、ペン回しを始めました。校舎の建て替えが終わって、授業の妨げになるからって学校でけん玉が触れなくなったんです。それで学校が暇になっちゃって。何しようかなぁと思った時にペンが目に入って、回してみたら思ったより楽しかったのが始まりです。コロナ禍で家にいる時間が増えたこともあって、ペン回しはよく練習しましたね。」
これからしたいこと
――ちょっと難しい質問をしてみます。これから沖縄がどうなっていくとよいと思いますか?
「本州と比べて、本とかいろんなものの発売日が遅れるじゃないですか。あれをどうにかしてほしい(笑)。ネットで『今日発売日の○○が買えた』とか見ると、沖縄ではまだ売ってないのに羨ましい!ってなります(笑)
あとは、沖縄って誰かパフォーマーを呼ぶにもお金がかかっちゃうから、本州と比べるとそういうイベントとか少ないんですよね。」
――沖縄県でイベントをやるとして、どんなパフォーマーに来てもらいたいですか?
「けん玉の元世界チャンピオン、ゆーだまさんにきてほしいですね。」
――それはどんな方ですか?
「自分の憧れの人です。今日の収録でいろいろパフォーマンスをやったんですけど、だいたいゆーだまさんからオマージュした技が多いです。勝手に呼ばせてもらうと、けん玉のパフォーマンスの師匠になります。」
――今後もパフォーマンスを磨いてみんなを楽しませてください!本日はありがとうございました!
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