公開日
OKITIVE編集部

OKITIVE編集部

50歳のヒーロー!東京パラ銅メダリスト 上與那原寛和さんの素顔に迫ります。

目次

東京パラリンピックでふたつの銅メダリスト、上與那原寛和さん

東京パラリンピックの陸上男子車いすT52クラスの400メートルと1500メートルで銅メダルを獲得した上與那原寛和さん。OKITIVE編集部のわたしたちに「せっかくなので銅メダルを触ってください」と話しかけてくれました。想像していた以上の重さを感じるメダルを手に、物腰柔らかな口調で上與那原さんはお話してくれました。

踏み出す勇気でいろんなものが変わる

――事故に遭ったことで車いすになり、リハビリとして陸上競技を始めたとうかがいました。競技を始めてからいろんなことがあったと思います。

「事故に遭う方、遭った方、健常者の方も同じですが、一番大切なのは障がいがあってもなくても、思いやりが大切だと思うんですね。その中でいろんな出会いや自分が気付かされるものがたくさん出てくるので、次にそれをどうやって伝えていくかが大事です。

よく『家にいる時間はもったいない』と言います。とにかく一歩踏み出す勇気をもって出たら、いろんなものが変わってくるんです。障がいがあってもスポーツをしている方、絵を描いている方、様々な方がいるので、自分に合うものが必ずどこかにあると思いますよ。」

笑顔でインタビューに応える上與那原寛和さん

「車いすで外に出るのって、自分も最初はちょっと抵抗があったんです。でも、まわりの目が気になるのであれば、たくさんの人がいる大きいデパートに行くのがベストです。自信を持って車いすで過ごしてください。」

――人の視線に慣れるということですか?

「そうですね。視線に慣れるにはスーパーやデパートなどが一番いいです。大型商業施設だったら、いろんな人がパッて車いすを見るはずですから。

人の目に慣れて気にならなくなると、それまでのように楽しくなってきます。今、デパートに行っても店員さんに声をかけて手伝いをお願いしますよ。車いすだと高いところに商品に手が届かないですから、『すみません、取ってください』って。話すのも心のリハビリになりますし、そこからまた楽しいって思えれば行動範囲がどんどん広がっていきます。」

コロナ禍でのトレーニング

――コロナ禍で苦労されたこともあったと思います。東京パラリンピックに向けてどの様にトレーニングされていたのでしょうか。

「練習環境をどうするかで苦労しました。緊急事態宣言になり、トレーニング施設が全て閉鎖しました。出場種目はトラック競技なので、一般道路とは全く違います。でもトラックに近いところで練習をしなければならない。いつも自分がトレーニングしている練習コースがあるのですが、そこで種目に合った練習を取り入れていました。あとは後援会を通じて地域の市議さんと相談し、地元の沖縄市にかけあって特別に競技場を使わせてもらいました。本当に皆さんに助けられました。コロナ禍でも練習を続けられてありがたかったです。」

「自分より、一般の方々の方がすごく大変だったと思うんです。お店とか旅行会社とかホテルとか。行政はそういった大変な方にきちんと目を向けて、手を伸ばしてほしいなぁって思います。コロナは本当に怖いです。こればっかりはどうにもならない。失業率なんかもすごい上がってるだろうし、その中で自分はSMBC日興証券に所属して競技に専念させていただいているので、感謝しかありません。」

復帰50周年に向けて

――沖縄は2022年に本土復帰50周年を迎えます。上與那原さんはどのように感じられていますか?

「自分は沖縄の生まれで、ずっと50年生きてきました。この50年で一番大きなものは、やっぱり首里城の宝物ですかね。首里城再建には何十年と時間がかかると思いますよ。そのころには自分なんかは生きていないと思います。

こどものころは三輪トラックが走っていました。730(ナナサンマル)もありましたし。そのあたりしか覚えていません。

復帰50周年でもっといいようになってほしいことといえば、なんでも平和的解決ですよね。いろんな人がいてなんでも賛否両論があるので難しいこともあるでしょうけれど、話をすることで平和的解決を目指していった方がいいと思います。」

若手に抜かれるつもりはまだない

――50歳のヒーローとなられました。同世代への想いはありますか?

「同じ年齢くらいの方々は、みなさん目標を持ってそこに進んでいらっしゃいます。ただ気をつけてほしいのは、飲みすぎ注意ですよね。適度な運動をして適量を飲みましょうと。飲酒運転もなくなってほしいです。

これからの沖縄といえば、20代30代の方々がいろんなものを引っ張っていく時代になると思います。底上げですよね。上の方々は定年になればとっとと席を譲って、若手に全部任せてほしいなぁと思います。上が変わらないと何も変わらないでしょう。その年齢がきたらそのまま退いていただいて、若手をどんどん育てていきましょう。

自分もそうです。競技で若手に抜かれたら、そこで終わりです。」

――若手に抜かれるつもりはないですよね?

「まだないです。日本代表になれる限り頑張ります(笑) 。

でも、若手の勢いが結構すごいんですよ。次のパラリンピックを目指すという方がとても多いんです。その中で、2年ごとに開催される世界選手権やアジア大会で参加標準記録を切らないと日本代表になれません。タイムが出ないと次のステップに繋がっていかないんですね。どこかで落ちてしまうと次に繋がらない。毎年大きなレースがあるんです。だから、いかに今の記録を伸ばせるように体を作っていくか、怪我をしない体作りというところから取り組んでいます。」

ガッツポーズをする上與那原寛和さん

あわせて読みたい記事

HY 366日が月9ドラマに…

あなたへおすすめ!