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OKITIVE編集部

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護得久栄昇先生インタビュー!お友達の金城くんの最近の様子などを伺いました。

目次

気合の入った護得久栄昇先生

2017年のO-1グランプリで彗星の如く現れた護得久栄昇先生。和装に金のネックレスを合わせ、片手にはセカンドバッグ、そして角刈り頭という独特なファッションセンスはインパクト大!いまや沖縄県内でその姿を知らない人はいないでしょう。そんな人気者の護得久先生に、OKITIVE編集室は独占インタビューを申し込みました。ぜひお楽しみください!

護得久先生と出会ってごはんを食べられるように

――護得久先生、本日は宜しくお願いします。さっそくですがお友達の金城博之さん(ハンサム)がお笑い芸人を目指したきっかけを教えてください。

「うん。芸事でごはんを食べるっていうのは、もともと考えてなかったそうだよ。お笑いポーポーやダウンタウンを見たりして『お笑いでごはんを食べられたら、一番人生楽しんじゃないか』ってところで始めたの、金城くんは。でもそれから20年間苦しかったねぇ。苦しくてもやめるにやめられないっていう(笑)」

注)「お笑いポーポー」90年代に沖縄県内で放送されていたお笑い番組

――やっぱり護得久先生との出会いで変わったんですね。

「そうだね。まさにO-1グランプリで脚光を浴びて。そこからどうにかごはんを食べられるようになった。だから薦めないよね。若い子たちが『お笑い芸人やりたい』って言ったら『やめとけー!チャメー!』『もっとちゃんとした仕事あるだろう!チンダミするよ!』って教えたいよね。」

注)『O-1グランプリ』沖縄テレビで毎年1月2日に生放送している、沖縄のお笑い芸人ナンバー1を決定するお笑いコンテスト番組。沖縄のお正月の風物詩となっている。

コロナ禍に配信ライブを始めてよかった

――護得久先生と金城さんは、どのようにコロナ禍を過ごしていましたか。

「金城君はね、お客さんの前に出る仕事なので、コロナで仕事がなくなったって言ってたね。それはしょうがないけれど、逆に配信とかに気付けたのは良かったんじゃないかな。でも『このネタ、ウケるんだろうか?』っていうのは生のお客さんじゃないとわからんわけさ。配信だけでやっていると視聴者の数はわかるんだけど、視聴している人にウケているかはわからない。ふつうはお客さんの前でお笑いを披露して、何度か練ってネタをよくしていくんだけど、それができないのはとってもマイナスだったかな。

この前久しぶりに客前でやったけど、やっぱり楽しいし、反応をみて『こっちは面白くないんだな』っていうのが改めてわかるわけ(笑)。これはおもしろいだろうって自信作だったのに(笑)。でもほんとに配信に気付けたのはよかったよね。まさに遠くの、内地のお客さんにも見てもらえるようになったしね。」

質問に応えてくださる護得久栄昇先生

復帰っ子の金城さんについて

――沖縄は2022年に復帰50周年を迎えます。お友達の金城さんは復帰っ子だと伺いました。

「金城君がよく言ってる『復帰っ子』ってなんかね、ちやほやまではいかないかもしれんけど、ちょっともてはやされているのに何にもしてないっていうのが自分の…金城君の中にあってね。50年経とうとしている時に、復帰っ子のみんなと『なんか恩返ししたい』っていう意見が合って。沖縄にはいろんな問題がたくさんあるけどね、そういうのを解決に近づけられたらってね。

それからね、おじいちゃんおばあちゃんの戦争の話なんかもよくあるけれど、でもしゃべる人がどんどんいなくなるんで。どうにか後世に伝えられるような環境を作れたらなぁって。」

笑顔でインタビューに応える護得久栄昇先生

「しまくとぅばもね。金城君と同じ復帰っ子のチアキさんも言ってたけど、『しまくとぅばを歌で残したい』って彼女らしい残し方だなぁって。昔はね、方言を使っちゃいけない方言礼の時期があったりしたわけさ。だから、もう少し沖縄っぽい言葉でしゃべってくれたら。若い子が『○○じゃん!』とか言ってるの聞いたら、やっぱり『うん、ちがうよ。沖縄の人はもうちょっと○○だばーよ』って。全部方言で芝居するのはもう無理だろうと思うし、なんだったらぼくももうしゃべれないし。

昔の歴史も残しつつ、基地問題とか貧困問題とかね、いろいろとよくなるように、変えられるものを変えていきたいっていうのもあるけどね。」

――古き良き文化を残しつつ、沖縄がより良くなることを願います。護得久先生、お忙しい中お話を聞かせていただき、ありがとうございました。

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