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12年に一度行われる伝統行事「龕ゴウ祭」積み重ねた250年の歴史(豊見城市)
目次
豊見城(とみぐすく)市で行われた12年に一度の龕(がん)ゴウ祭。
龕(がん)とは死者を運ぶ道具で、火葬が一般的となる前は沖縄の各地で使われていた。先人から受け継いだ地域の行事を取材した。
積み重ねた250年の歴史
旧暦の8月9日、この日、豊見城市字高安で行われたのは250年以上の歴史を持つ「龕ゴウ祭」。12年に1度、辰年の旧暦8月9日に行われる伝統行事である。
「龕(がん)」とは、沖縄でかつて亡くなった人を墓まで運ぶ際に用いられた道具のこと。
現在、高安に伝わる龕は、沖縄戦で破壊されたものを1952年に復元し、1968年まで使用されていた。
亡くなった人をあの世へと運ぶ道具のため、この龕に宿る魂を鎮め、地域の厄をはらい、無病息災や豊年を願う。
特別な想いの参加者
高安自治会 宜保樹 会長
「12年に1回は龕にうるしをかけて、化粧塗をして地域の無病息災・地域繁栄の祈願を兼ねて龕ゴウ祭をやっています」
2024年、高安自治会の会長を務める宜保樹(たつる)さんは、今回の龕ゴウ祭に特別な想いがある。
戦争で焼失した龕を復元した第1回目の龕ゴウ祭を行ったのが、宜保会長の祖父である。
その72年後の戦後7回目の龕ゴウ祭で宜保会長が自治会長として全体の指揮をとるということに、「すごい繋がりというか、祖父が『お前やれよ』と後押しがあったのかな。深い意味があって、これは絶対成功させないといけない」と龕ゴウ祭に強い想いで臨んでいる。
2024年9月9日、龕ゴウ祭を2日後に控え、公民館では祭りのあとに披露される子どもエイサーや奉納演舞の棒術の練習が行われていた。
外間章浩さん
「先輩方から色々ご指導いただいたりとか。地域の繋がりを感じることができています」
外間大翔さん
「12年に1回だから。集中して頑張ってやっていきたい」
子どもからお年寄りまで地域が一体に
あいにくの天気の中迎えた龕ゴウ祭当日。午前中は龕屋から龕を取り出し、公民館で組み立て作業が行われた。
過去の写真などを参考にしながら、丁寧に作業が進められていく。
いよいよ午後から始まった龕ゴウ祭。旗頭で気勢をあげ、地域の東西にある2つの宗家「宜保殿内(ぎぼどぅんち)」と「波平(はんじゃ)」を訪れ、棒術や舞踊を奉納する。
宜保殿内 当主 宜保剛さん
「老若男女、皆が一生懸命頑張っていますので心強いと思います」
Q.お父さんはどうだった?
男の子
「かっこよかった」
Q.将来はお父さんみたいに旗頭やりたい?
男の子
「はい!」
父親(宜保雄士さん)
「あとあとはしっかり受け継いでいってほしいですね」
祭りを見に来た女性
「家族みんな出ているので、すごいですよ。楽しみで、みんな来ています。同級生も」
龕を納めるための龕屋までの「道ズネー」は、地域の長老たちを先頭に行われ、子どもからお年寄りまで多くの住民が見守る中、龕は無事に納められた。
今回参加した人の中には、これまでの龕ゴウ祭と歩みを共にしてきた人もいる。
Q.実際に亡くなった人を龕で運んだ経験はありますか?
来年カジマヤーを迎える外間永徳さん
「あるある、何回もあるよ。ゆいまーる(助け合い)と言うのかな。隣組の助け合いで、誰かが亡くなったら我々が担ごうという風に率先して担いだよ」
Q.今回の龕ゴウ祭はどうでした?
来年カジマヤーを迎える外間永徳さん
「上等だと思います。皆と会えて、手を取り合って、これからますます高安が栄えるように皆で祝ってくれた。これが1番うれしかった」
注)カジマヤー:数えで97歳を迎えたお年寄りを祝う沖縄の行事
無事に龕ゴウ祭を終えたことを祝う「コーヌユーエー」では、この日のために活動を再開し練習を重ねてきた子どもエイサーも披露された。
龕ゴウ祭を終え、ほっとした様子の宜保会長は…
高安自治会 宜保樹 会長
「きょうを終えてやっと肩の荷が下りました。高安の良さというのは、絆なんですよね。龕ゴウ祭が1つにしてくれるという。皆が地域のために1つになってやってくれたというのが、 自治会長として本当に誇りであるし、非常にうれしいです」
先人から受け継いだ伝統を次の世代へ、地域の絆を深める高安の龕ゴウ祭。次は2036年に執り行われる。
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