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HY単独インタビュー!我慢して耐えたからこそ今日の虹が掛かった!SKY Fes 2021→2022
『SKY Fes 2021→2022』の主催とトリを務めたHY。大盛り上がりのライブをやり終えた直後、メンバーに今回のイベントを振り返ってもらいました。
—2度の延期を経て1年9ヶ月ぶりの開催となりました。フェスを終えての感想は。
新里英之(Vo/G):今日この日を迎えてですね、やっと、やっっと、って溜めるくらい、ここまできたという感じです。ご褒美のようです。沖縄のみんながコロナに負けずに頑張ってきたから、ルールを守ってきたからこそできたフェスだと思ってます。すごく嬉しかった。
—色々なワークショップも実施してますが、こうした取り組みをしたのはなぜですか。
名嘉俊(Dr):先ずはクリーン活動ですね。フェスも含めて世界中ですごく素敵なイベントがある中で、終わった後の風景に目をやると、ものすごくゴミが落ちてて。音楽でパワーをもらえるのは良いんですけど、そうした風景には疑問を感じてました。だったら、SKY Fesで世界一クリーンなゴミのないフェスを目指していこうというと思ったことがきっかけですね。
仲宗根泉(Vo/Key):(フェスを終えて)明日また会場に来てゴミを拾います。その時にどれだけゴミ落ちてるか落ちてないかが分かります。もし落ちてても、私たちが拾うことでまた次につなげたい。次回のSKY Fesの時にみんなで一緒に考えていきたい。だから先ずは私たちが率先してやっていくということです。
名嘉:ボランティア募集したら100人以上の応募がありました。その人たちと一緒にクリーン活動をするんです。こうした所が他のフェスとは違う部分だと思ってます。
—地元に根ざしたバンドという部分は今回のフェスでどのように打ち出しましたか。
許田信介(Ba):キッチンカーとかはうるま市で頑張ってる人たちにお願いしたというのもありましたね。
名嘉:地元に根付くという意味での記憶みたいなもので、自分たちが小学校の時とかに隣の家から三線が聞こえてきたというのがあって、いつまでも音楽がそばにあるんだよということは常に発信したい。そんな素敵なミュージシャンを目指したいと思ってます。SKY Fesに遊びに来た子どもたちが色んなものを見て、感じてくれたらいいなと。これからも地元に密着して、地元のものを世界に発信していけたらなと思います。
—ステージで真和志高校手話部との共演が印象的でした。手話部の皆さんの演技を見てどんなことを考えてしましたか。
新里:とっても良い演技なので、モニターがあれば良かったなと(笑)。手元をちゃんと映してあげて、後ろの人たちにも見てほしかったなっていうのは感じました。
—最後アンコールを終えてのステージではどんな思いでしたか。
名嘉:どんなしたら昼間に戻れるかな、って(笑)。コロナで遠足とか運動会とか軒並み中止・延期になってしまった中で、例えば子どもたちが「家族とSKY Fes行ったな」っていう思い出を何か1つでも残してもらいたいという気持ちでした。ステージからは肩車してもらって笑顔の子どもたちの顔とかも見えたりして、やって良かったなと思いましたね。
新里:ありがとう、そしてSKY Fes大成功だなって。そしてこれから新しい自分たちが始まっていくなと感じてました。今本当に嬉しいことにコロナも少しずつ落ち着いてきてて、来てくれたみんなが今日生まれたパワーを持って帰って、少し羽を伸ばすことができるんじゃないか、そんなきっかけを作るフェスだったら嬉しいなって思いました。
名嘉:15年後はほぼ裏方でしょうね。キッチンカーも自分で出して(笑)。でも課題も色々ありました。そうした部分も踏まえて、スタッフとミーティングを重ねて今後もオリジナリティ溢れるフェスを続けていければいいなと思います。
—次回またやりたいという気持ちはありますか。
仲宗根:時間と状況が許すのであれば来年にもすぐにしたいくらいの気持ちはあります。でも今日わかった課題もありますので、1年あけるのはちょうど良いかと思うんです。2023年からは毎年続けていけるようにしたいですね。なかなか見ることができない沖縄県外アーティストが那覇でライブやることは多いけど、そうなると中北部の人たちは見に行くのが大変。でも今回は沖縄市でやるということで、どこからも行けると場所も好評だったんです。沖縄市に今回みたいに有名なアーティストが来てくれるのはなかなかなくて、それも良いきっかけになったと思います。自分たちの中でも、今度はあの人たちに声かけてみようとか夢が膨らんだので、今後またパワーアップしたフェスにしたい。
名嘉:どこで開催してもいいと思ってます。今回伝統芸能も取り入れてますけど、回数重ねていって色んな場所の伝統芸能を取り入れてもいい。それでみんなで発信していきたいというのがSKY Fesの目標でもあるので。
—観客も嬉しそうでした。
名嘉:自分たちが1番嬉しかったかも。
仲宗根:自分たちが満足してたかもね。
—コロナ禍になってフェスの延期やさまざまな制限がありました。音楽への向き合い方や感じ方に変化などありましたか。
名嘉:一気に人に会わなくなって、今日は目の前にお客さんがいる状態で久しぶりに演奏しました。ちょっと照れもありました。笑ってる顔だったり、拍手だったりをステージから見て感じて、自分たちが出してる音の「重み」みたいなものも感じた気がします。
新里:コロナでライブも出来なくて、地元のうるま市の街を歩いてたらその時はただのおじさんだったんですけど(笑)。今日ステージに上がって「アーティストに戻れた」という感じでした。
—ライブ自体は久しぶりですか。
仲宗根:1ヶ月に1回くらいのペースで配信はしてました。やっぱりアーティストなので、ステージに出ることはなくても、ライブ自体はずっと続けてました。でも野外とかでお客さんが入っている中で歌うのはすごく久しぶりで、しかもそれが自分たちが作り上げたフェスだったので、すごく嬉しかったですね。
—コロナの状況だったからこそ出てきた言葉や気持ちもありましたか。
新里:ありますね。1曲目が「no rain no rainbow」という曲だったんですけど、「雨も降らなかったら虹も出ない」という歌詞で、雨にも良い雨はあるんですけど、自分の中ではちょっとコロナを重ねる部分もありました。だから、我慢して耐えたからこそ今日の虹が掛かる。そんな思いでスタートしたから、すごい気持ち良かったんです。
—クリーン活動の話もありましたが、今話題になっているSDGsへの思いはありますか。
名嘉:ありますね。内容は人権とか貧困、環境問題などたくさんあります。ものすごくハードルは高いけど、世界がこの基準で動いてる。道を歩いてて、誰かがポイ捨てをしてる場面に遭遇することがあるんです。これをどうやったら減らせるかということを毎日考えてます。子どもたちの世代にどんどん教えていけば、きっと伝わって変わっていくんだろうなとメンバーで信じて課外授業とかにも取り組んでます。例えば黒板で教えるだけじゃなくて、お家に転がってる空き缶を使って楽器にできるんだぜ、みたいに楽しくワークショップに取り入れて伝わるようにすることがHYとしてできることなんだと考えてます。
—2022年は沖縄復帰50年の節目になります。沖縄県民として、来年をどのように位置づけますか。
名嘉:復帰について耳にしたきっかけはガレッジセールの川田さんの話でした。正直自分たちとしてはあまり実感はないんですが、ものすごく急激に世界が変わったという話は聞きました。2022年はそれを思いっきり学ぶための年だと思っています。だから色んな人たちの話を聞きに行くことが1つのテーマですね。
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