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OTV報道部

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20年にわたる“世界初”の取り組み「生きようとする生物を完全に根絶する・・・」沖縄本島では緊急防除措置

20年にわたる“世界初”の取り組み

沖縄県病害虫防除技術センターの伊禮信所長は「生きようとする生物を完全に根絶するという取り組みがいかに難しかったか。世界的な偉業だったのだと思います」と振り返る。

20年にわたる“世界初”の取り組み「生きようとする生物を完全に根絶する・・・」沖縄本島では緊急防除措置

沖縄では戦前からセグロウリミバエとは別種のウリミバエが農作物を食い荒らし、農家を苦しめてきた。沖縄が本土復帰した1972年、代表的な農産物であるゴーヤーなどのウリ科作物は植物防疫法で本土への出荷ができなかった。

そうした状況で沖縄県は害虫対策に本格的に乗り出した。

対策の重要性について当時の関係者は「沖縄県にウリミバエが一匹でもいれば、ウリ科農作物は本土へ自由に出荷できない。単なる被害防止ではなく根絶を目指す必要がある」と語る。

ウリミバエ根絶に向け採用されたのは「不妊虫放飼(ほうし)法」という画期的な方法だった。ウリミバエの蛹(さなぎ)に放射線を照射し生殖機能を失わせた成虫を大量に放つことで自然界の繁殖を抑制し根絶を目指した。

20年にわたる“世界初”の取り組み「生きようとする生物を完全に根絶する・・・」沖縄本島では緊急防除措置

沖縄全土を対象に週に最大2億匹もの不妊ウリミバエが放たれた。麻酔で眠らせた成虫を冷却放飼装置にセットし航空機から大量放飼した。

20年にわたる“世界初”の取り組み「生きようとする生物を完全に根絶する・・・」沖縄本島では緊急防除措置

目覚めた不妊虫は野生の雌を求めて飛び立ち交尾するが繁殖はできない。こうして次第にウリミバエは減少していった。

粘り強い取り組みは徐々に成果を挙げ、1990年に沖縄本島でウリミバエが姿を消した。

1993年には八重山諸島での根絶も宣言された。沖縄県全域からのウリミバエ根絶は世界初の偉業として歴史に刻まれ、沖縄を代表する野菜や果物が新鮮なまま本土に出荷されるようになった。

20年にわたる“世界初”の取り組み「生きようとする生物を完全に根絶する・・・」沖縄本島では緊急防除措置

八重山での初出荷式典である生産者は「私たち生産農家は長い間この日を待ちわびていました。沖縄県の農業・園芸業の夜明けとなるでしょう」と喜びを語った。

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