復帰50年,文化
復帰を知る vol.4 ~一票を託された立法院~
沖縄は2022年、本土復帰50年の節目を迎える。OKITIVEでは「本土復帰50年企画」として、2012年に沖縄テレビのニュース番組内で特集したシリーズ企画「復帰を知る」などの過去の放送素材と、新たに取材した復帰にまつわる内容などを加えて特集していきます。
4回目は、現在の沖縄県議会に相当する復帰前の「立法院」についてです。
1952年、アメリカは沖縄統治にあたり琉球政府を創設した。琉球政府は行政・立法・司法の三権を備えた自治機構で、このうち選挙に選ばれた議員で構成する立法機関が立法院。
住民から託された一票の重みをかみ締め、立法院議員はこの島の行く末に思いをめぐらせて激論を交わした。
1960年から12年間にわたり立法院議員を務めた古堅実吉さん。本土復帰後は県議会議員、衆議院議員を歴任した。
元立法議員 古堅実吉さん
「『祖国復帰』それが唯一住民の選挙によって選ばれた立法院の最大の課題だったわけです」
立法院が創設された70年前の会議録は、現在も沖縄県議会の図書館に保管されている。
記念すべき第一回議会の会議録を紐解くと、沖縄の復帰問題が議案に上がっていたことがわかる。
しかし、この当時、沖縄を支配下に置くアメリカにとって、祖国復帰を願う世論は占領統治の妨げでしかなく、弾圧の対象であったという。
沖縄における最高権力者は現在の県知事にあたる琉球政府の行政主席ではなく、アメリカの高等弁務官だった。
元立法議員 古堅実吉さん
「現役の軍人から(高等弁務官に就任)という形でね、軍事占領支配そのものといっていい状況なわけです」
行政主席を誰にするか決めるのも高等弁務官だった。立法院の定例会で決まって演説にたった高等弁務官には、議会の議決事項でさえも覆すほどの権限があったという。
元立法議員 古堅実吉さん
「行政主席が署名して公布される仕組みになっていたんで、アメリカが気に入らない政策、行政主席に拒否させるという最終的に高等弁務官がその判断で無効にするという、そういう権限までもっていましたからね」
時には高等弁務官による拒否権発動という不当な介入を受けながらも、立法院は本土復帰に関する決議を毎年繰り返してきた。
沖縄の住民に選ばれた議員としての誇りが、圧力に屈しない原動力だったという。
元立法議員 古堅実吉さん
「住民が何かを持ち込むところは立法院しかない状況でしたから、住民に選ばれた唯一の民選議会としての、そういう意味では全てアメリカが思うようにはいかなかった」
立法院議員としての拠り所は民意。それを裏付けるものは確かに数字として残されていた。
8回実施された選挙ではほぼ全てで80%を超えた。復帰前の沖縄で人々は立法院に一票を託していた。
元立法議員 古堅実吉さん
「切実な思い、そういう面で自分たちの代表ということにつながる、そういう立場での投票率が高くなったという要素は大きかったんじゃないでしょかね、今の状況とは話にならないくらい期待はあったというふうに思いますよ」
制約を受けながらの議会活動であっても常に沖縄の声を発信した立法院。あの当時から今へと受け継ぐべきものがあると古堅さんは語る。
元立法議員 古堅実吉さん
「大事なかけがえのない課題についてはね、与野党を問わず徹底した論議を尽くせば、それなりに良識ある一つの結論を導くことができる、そういう立場を踏まえて県議会もこれから頑張ってほしい」
2010年沖縄県議会は普天間基地の県内移設断念を求め国外・県外への移設を要望する決議を超党派で全会一致にて可決した。
復帰50年未来へ オキナワ・沖縄・OKINAWA
2022年5月15日(日)正午から沖縄県内のテレビ8チャンネルにて生放送!
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