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OTV報道部

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復帰を知る Vol.12 〜復帰を前に国政へ〜

沖縄は2022年、本土復帰50年の節目を迎える。OKITIVEでは「本土復帰50年企画」として、2012年に沖縄テレビのニュース番組内で特集したシリーズ企画「復帰を知る」などの過去の放送素材と、新たに取材した復帰にまつわる内容などを加えて特集していきます。
12回目は、「復帰を前に国政へ」についてです。

復帰の2年前、アメリカ占領下にありながら沖縄から7人の国会議員が誕生した。県民の期待を背負い国政の場に立った当時の議員が見たものとは。

1970年11月15日終戦から25年、沖縄で戦後初めての国政選挙が行われた。

時はアメリカ施政権下。間もなく迎える祖国復帰にむけ国会へと送られた7人を当時の人々は「7人のサムライ」と呼んだそうだ。

2012年5月12日に沖縄大学で、復帰前から今に至る沖縄の政治を振り返るシンポジウムが開催された。

パネリスト 故・上原康助さん
「1950年代はみなさんお分かりのように。銃剣とブルドーザーで沖縄の豊かな水田や畑をみんな強制接収して軍事基地を作っていったんですね」

基地で働く従業員で組織された組合全軍労の初代委員長を経て、1970年の衆議院議員選挙で初当選。その後10期30年に渡り沖縄問題を国会で訴えた。

パネリスト 故・上原康助さん
「やっぱり平和憲法下、日本への復帰を考えなければいかんということで、次第に社会の状況が変化していくことになるんです」

復帰を前に沖縄の代表が国政に参加することとなったのは、1969年佐藤・ニクソン共同声明で3年後の復帰が発表され、返還協定に沖縄の声を取り入れるためだ。戦後初の国会議員への期待。

それを、当時のニュースリポートからうかがい知ることができる。

当時のリポート
「明日私たちが選ぶ7人の議員は(このような問題を抱えて国会に参加し)復帰準備作業を進める新たなパイプ役にもなり、そしてまた、言いたいことも自由に言えなかった沖縄と本土、あるいはまた、アメリカとの厚い壁を打ち破ることにもなるのです」

「沖縄の声を国政へ」
候補者に願いを託し、人々は1票を投じた。

投票率 83.6%
選挙から9日後の11月24日注目の初登院惜しみない拍手が送られた。

代表質問者
「戦後25年この方、異民族支配のもとで、沖縄県民がこうむってきた数々の差別と犠牲、屈辱に対して、政治的にあるいは道義上いかなる責任を感じておられるか、佐藤総理から沖縄100万県民に明確に答弁していただきたいのであります」

佐藤総理
「本土の我々はひとしく沖縄県民に対して深い同情の念を禁じ得ませんでした」

パネリスト 故・上原康助さん
「沖縄の心というものを訴えた、ということにはなったかもしれません」

沖縄の人々が求めていたのは、軍事基地のない平和な島を取り戻すこと。そのため、当時の議員は保守も革新もなく、沖縄問題の解決にむけひとつになってたと上原さんは言った。しかし、沖縄に突きつけられたのは屈辱的な現実だった。

パネリスト 故・上原康助さん
「沖縄の代表が本当に使命感を持って、県民の期待をもって、責任を果たすということであるならばですね、復帰1年前とか復帰間近になって国会に行ったってね、それは形式なものになるんですよね」

返還協定調印式1971年6月15日、沖縄返還協定調印式基地の撤去は盛り込まれていなかった。屋良主席は式への出席を辞退。衛星中継で調印を見ていた沖縄では返還協定のやり直しを求める声があがる。

1971年秋、返還協定の批准など復帰後の沖縄の運命を左右する第67臨時国会が召集された。いわゆる「沖縄国会」だ。強行採決上原さんも委員会審議に参加したが、11月17日その瞬間は、何の前触れもなくやってきた。

パネリストの上原康助さん
「強行採決。抜き打ちにね。緊急動議をだして、もう大混乱でしたよ」

パネリストの上原康助さん
「どうしてあんな政治手法をとるのかね。委員会運営やるのか、ここがまぁ、いまだに理解できない。形式的に沖縄の代表も含めて議論をしたんだということを、日本政府としては形成したかったわけ。作りたかったわけ。…うん」

そして迎えた1972年5月15日。東京で開催された政府主催の記念式典に県選出の国会議員は誰一人出席しなかった。県内では那覇市民会館で、政府と沖縄県が主催する2つの記念式典が開催されたが…

パネリストの上原康助さん
「県民大会、与儀公園であったんだ。大雨でね、隣の市民会館で式典がずぶ濡れになった。僕らはもう行かんかった。こんな欺瞞的返還内容ではだめだということで、県民のみなさんと一緒に返還抗議行動に、糾弾行動に大会に参加してたよ」

喜びと怒り2つの異なる感情とともに人々は復帰の日をむかえた。

パネリストの上原康助さん
「日本人としての地位、身分を、勝ち得たということで復帰してよかったと思う。だがやっぱり米軍基地問題、あるいは、その他の復帰処理の問題等々については、今でも県民の不満は高いですね」

パネリストの上原康助さん
「復帰時代大衆運動とか復帰運動、いろいろ苦労をした先達のみなさんは、こんなはずではなかったという気持ちが強いでしょうね」

「基地のない平和な島を」半世紀以上にわたって訴えてきた沖縄の人の思いが真の意味で国政に届くのはいったいいつになるのか。様々な葛藤を抱え、沖縄は復帰50年をむかえる。

復帰50年未来へ オキナワ・沖縄・OKINAWA
2022年5月15日(日)正午から沖縄県内のテレビ8チャンネルにて生放送!

>番組情報はこちら!

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