復帰50年,文化
沖縄が復帰した歴史的1日のドキュメント その日何があったのか
2022年5月15日、沖縄は本土復帰から半世紀の節目を迎えた。OKITIVEでは復帰企画第2弾として5月15日に沖縄テレビで放送した特別番組「復帰50年未来へ」をテキスト化して随時公開していきます。
今回は「沖縄が復帰した歴史的1日のドキュメント その日何があったのか」です。
戦後27年におよぶアメリカの統治が終わり日本へと施政権が移った節目の1972年5月15日。
元衆議院議員 初代沖縄開発庁長官 山中貞則(2000年取材)
「汽笛の海面に鳴り響く音は一生忘れんですね。感無量でした。ああ…この瞬間をどれだけ苦労して待ったかという気持ちがこみ上げてきて涙が流れたんですよね」
沖縄の復帰に尽力した政治家は万感の思いだった。
日付が変わった午前0時10分、嘉手納基地では、一人の男を見送るため大勢の兵士が整列していた。男の名はランパート。沖縄で行政・立法・司法の全てで絶大な権力を握る「沖縄の帝王」と呼ばれていた最後の高等弁務官だ。
沖縄テレビ元記者 津嘉山珍勝
「とうとう27年間、沖縄を統治していた最高権力者・ランパートさんもいなくなるんだと、歴史を見ているみたいで。自分自身が嘉手納基地にいて最後の場面に居れたことはびっくりしましたよ。感無量でしたね」
午前6時15分。住民の先頭に立って、基地から派生する問題や復帰に関する決議を幾度となく可決してきた琉球政府立法院は歴史に幕をおろし沖縄県議会へ移行した。
元琉球政府立法議員 古堅実吉(2012年取材)
「民選機関である立法院にそれに掛けた県民の気持ちというのは強い思いがあった。住民が何かを持ち込むところは立法院しかない状況でしたから、そういう意味では全てアメリカが思うようにはいかなかった」
午前9時頃、沖縄県庁と記された表札が披露され、それまで、庁舎に設置されていた「アメリカ合衆国より琉球の住民へ献呈する」と刻まれた銅板は取り外された。
午前10時30分、日本政府主催の沖縄復帰記念式典が東京と沖縄の2つの会場で開かれた。その様子はテレビ中継され、沖縄が日本に還った事が全世界に発信された。
佐藤栄作 総理大臣
「豊かな沖縄県づくりに全力をあげるつもりです」
銀行ではドルを円に交換する人でごったがえした。国際通りや商店街は復帰を祝う垂れ幕がみられた。一方、市場は普段と変わらない時が過ぎていた。
復帰当日市場で働いていた人 (80歳)
「あの時分は商売もすごい忙しかったからすごい時代だったよ」
復帰当日市場で働いていた人 (81歳)
「世の中変わりました。ドルが円に変わったときは・・・忙しいから分からん」
政府主催の式典から約3時間半後、那覇市民会館では午後2時から県が主催する沖縄県発足式が開かれた。
屋良朝苗知事
「ここに沖縄県が発足したことを高らかに宣言いたします」
いっぽう、式典会場のすぐ隣の与儀公園では復帰を沖縄処分と捉え抗議する人々が結集していた。
沖縄テレビ元キャスター・島袋秀光
「ものすごい土砂ぶりでしたよ。人々の悲しみと怒りの涙でしょう。外の雨は・・・」
なぜ、復帰に抗議する人々がいたのか・・・。
政府による「復帰記念式典」とは別に、県が「発足式典」を開いた真意とは・・・。
「復帰」を知るにあたり、まず2つの式典から読み解く。
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