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変わる時代のなかで変わらない“おいしさ”を 宮古島のイタリアン「ドンコリism」
大地そのものを丸ごと口のなかに取り込んでいるようなミネラルを感じる野菜に、濃厚な香りと味わいの豚肉、絶妙な火入れで焼き上げた上質な脂がのった牛肉。そしてイタリア仕込みで、どこか親しみも感じる味わいのパスタ。
宮古島市平良下里にあるイタリアン「ドンコリism(ドンコリイズム)」では、島の食材を生かした料理を堪能することができる。地元の風土や食文化に向き合うシェフの望月直樹さんは、店のテーマを「食事でみんなが笑顔になる」ことと明快に言い切る。目まぐるしく変化し続ける時のなかで、“おいしいという感覚”は変わらない。望月さんの言葉の端々ににじむその思いを紐解いてみた。
シンプルなパスタに見出した原点
望月さんが宮古島を訪れたのはいまから15年前。知人を介して伊良部島に行ったことがきっかけで通うようになった。当時は地元・京都のレストランの雇われシェフで、日々レシピを絞り出して心身を削りながら料理に臨んでいた。そんななかで宮古島の自然と食材に触れたことが、大きな転機になった。地元の人にシンプルなイタリア料理を振る舞った時のビビッドな反応が忘れられないと話す。
「当時の宮古島にはまだバジルやルッコラなども売ってないし、作られてもいなかった。アンチョビの代わりにスクガラスを使ったりもしましたね。トマトがおいしい季節だから、ということでとてもシンプルなトマトソースでパスタを作って食べてもらったら、ものすごい喜ばれたんです。そのときに『ああ、これでいいんだ』って思えて」
その後、車にワインセラーとピザを焼くオーブンを詰め込んで、友人を介して伊良部島に乗り込んだ。畑も借りて、自分で作った農作物もピザに使いながら「1日3〜4枚売れればいいや(笑)」というペースでゆるゆると営業した。そんな生活を1年ほど続けた頃、いままで働いていた場所の仲間や、かつて料理を学んだイタリアの友達のことをふと考えて取り残された気がした。
そこで「せっかく宮古島にいるんだから」と島の新しい食材を使ってちゃんとしたレストランを作ろうと決めて、ドンコリismの前身となるレストラン「ドンコリーノ」を2010年に立ち上げた。
暫く営業したその店舗は、スペースが広くて客との距離が遠かったため「もっとコンパクトに、お客さんと今日のおすすめをちゃんと話してやりとりしたいな」と、2014年にドンコリーノの精神、流儀を凝縮した決意を込めて店名を「ドンコリism」に変えて現在の店舗で営業を開始するに至った。
驚きとおいしさ、2つの“口福”
「伝統的な沖縄料理とか、地元の料理に対してのリスペクトはもちろんあります。でも、調理方法のバリエーションや幅が少ないし狭いのも事実。なので、ジャンルは違うけれど、だからこそ『イタリアではもっとこういうやり方があるよ』という風に提案をしていきたいんですよ」
そう語る望月さんの料理は、文字どおり普通は思いつかないような食材の組み合わせや調理方法で、確かなおいしさとちょっとした驚きの2種類の喜びを舌にもたらしてくれる。
たとえば「パッションフルーツのリゾット」。タイトルで「え?」と首をかしげるかもしれないが、これは「ドンコリーノ」時代からの定番メニューだ。
チーズが香るとてもシンプルでなリゾット(当然、これだけでもうまい)の中央に、パッションフルーツがたっぷりと乗っている。このソースを混ぜ込みながら食べると、クリーミィなリゾットの風味をパッションフルーツの酸味が爽やかにさらって、いくらでも食べられてしまうほどにさっぱりとした味わいにまとまるのだ。
そのほかにもヤギ肉のペーストを使ってヨモギ入りのソースをかけて食べるラビオリや、宮古島で害獣として駆除されるクジャクの肉を使ったシーザーサラダなどもオンメニューしていた。
宮古島で料理するようになり、魚を獲る漁師や野菜を育てて出荷する生産者たちと直接やりとりし始めた当初のことを「彼らの熱い思いを聞いて、食材のバックボーンを知ることができるのはいままでには無い感覚でした」と望月さんは振り返る。
「生産者のみなさんや食材そのものに直に触れられる環境は、おいしい料理を作ることへの原動力です。刺激も感じるし、同時に『お客さんにきちんと届けないといけない』という責任も感じるんです」
農家の人たちの努力もあり、現在宮古島ではこれまでは島で作られていなかった珍しい品種も含めてさまざまな種類の野菜が生産され、手に入るようになった。ただその一方で、宮古の島の“土着の野菜”への関心がそこまでは高まっているわけでもないという。
望月さんは「宮古の食材や食文化が、時の経過とともに失われつつあるのが現状だと思います」と危惧も抱いている。同時に、料理人として「いまはもう作られていないけど、昔の宮古の人たちが日常的に食べていた食材も料理してみたい」という望みもある。
流動する時代のなかで受け継がれるもの
望月さんは20代の頃、およそ2年間のイタリア修行のうちの1年を、北東部のエミリア=ロマーニャ州フェラーラ近郊の「コディゴロ」という街にあったレストランで働いて、現地の料理を学んだ。コロナ前は日本に帰国してからも、ほぼ毎年イタリアに足を運んでいた。ある時、古巣の店を再訪した時に感じた味の変化に「変わらなくても変わるものがある」と食文化と時代の流れとの相関性に気づきを得た。
「食文化は時代や状況に応じて変わらざるを得ません。そのことを認識しないといけないと思うんです。以前働いていたイタリアのお店は家族経営で、僕が働いていた頃は娘さんが2代目シェフとして調理していました。
その後、シェフが3代目になった時にまたお店に行ったら、レシピはほとんど変わっていないけれど、20年前よりは確実においしくなってたんですよね。このときに、変わらないなかでも変わっていくものがあると体感したし、そのなかで“受け継がれていくもの”を学べたことは料理人として大きな経験でした」
時代や世代をつないでダイナミックに変わっていく食文化を、望月さんは料理人として「ドラマティックなものとしてどうやって伝えていくか」と常に考えている。「世代や状況が変わったとしても、自分が感じてきたことは伝えることができますからね」
「おいしい」という感覚は変わらない
時世で言えば、新型コロナウイルスの蔓延も1つの大きな転換点となった。コロナ禍で「こんなに簡単にお店ができなくなるんだ」と目の当たりにした。
現在のドンコリismの体制は、望月さん(40代)のほかは、20代スタッフが3人。「自分は圧倒的に少数派なんですよ」と望月さんは笑う。
「若いスタッフのモチベーションを保ちながら一丸となってやっていくには、新しい世代の考え方を彼らから如何に学ぶかがとても大事だと思っています。これからの時代を担っていくのは彼らですから、きちんとお店を回していくための新しい形を模索していますよ」
そう話す望月さんの言葉どおり、コロナ禍に入ってからのドンコリismはテイクアウトやネット販売に力を入れた展開をしつつ、日々のInstagramでの発信も欠かさず行っている。少しずつ観光客の客足も戻り始めるなかで「来てほしいお客さまに来てもらえる店」になることに焦点を定め、「客層を決めた上で、観光客にも地元客にもしっかりとアピールしていきたい」と望月さんは語る。
「いつの時代でも『おいしい』という感覚と、おいしさを求める思いは変わらないでしょう。そこに何をプラスしていくのかを考え続けていくしかない。そう思います」
変わらない“おいしい感覚そのもの”の精度を上げながら、変わってゆく時代のなかで楽しみながら、試行錯誤しながら、望月さんは今日もドンコリismの厨房に立っている。
Information
- 宮古島 イタリアン ドンコリism(ドンコリイズム)
- 住所
- 〒906-0013 沖縄県宮古島市平良下里597
- 電話番号
- 0980-79-0978
- 営業時間
- 18時〜24時
- 定休日
- 水曜日
- 駐車場
- 無
近くにコインパーキング有り - カード
- 可
- 電子マネー
- 不可
- URL・SNS
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