公開日
新里 一樹

新里 一樹

沖縄のスーパーフード「クーガ芋」産業化に向けたチャレンジ(前編)

新里一樹 Me We OKINAWA

沖縄固有の島野菜や食分野全体が新たなイノベーションを起こし、沖縄の「稼ぐ力」となっていくと考えている筆者。そのような背景から、自身も沖縄在来山芋の産業化を目指す取り組みを始めている。地味な存在でありながら次世代スーパーフードとも呼ばれるこの沖縄在来山芋について前編・後編に分けて紹介する。

目次

あのスーパースターの強さの秘密!?

2008年、北京五輪。ある一人の陸上短距離選手に世界中の視線が注がれていた。これまでスプリンターと言えば米国の専売特許だった。そこに突如として現れた陸上ジャマイカ代表選手の名は、ウサイン・ボルト。驚異的な強さで2008年の北京五輪の100メートル、200メートルを皮切りに、2012年ロンドン五輪、2016年リオデジャネイロ五輪と同種目で3連覇を達成している。

世界中の科学者たちが一斉に、ウサイン・ボルトの強さはどこにあるのかと解析を試みた。骨格の動き、トレーニング方法、走り方etc…。そんななか、ある海外メディアがボルトの強さの秘密として、主食としているヤムイモ(=日本では長芋や自然薯等のいわゆる山芋を指す)にあると報じたのだ。その後、ボルトの父、ウェズリー氏も息子の強さの秘訣は間違いなく、地元特産のヤムイモにあるとメディアに語ったとの逸話も残されている。

陸上選手イメージ

これを裏付けるように陸上ジャマイカ代表選手の血液を解析すると、筋肉合成を促進する血中の性ホルモンの一種が高い値であったとの報告がなされた。ヤムイモ(山芋)にはジオスゲニンという機能性成分が含まれており、このジオスゲニンは化学構造がヒトの性ホルモンに類似していることから、山芋を摂取する事で性ホルモン促進に役立つ可能性があるという。

このジャマイカのヤムイモ(山芋)が陸上選手のハードなトレーニングを支え、100メートル、200メートルなど複数種目でメダル取得につながったのではないかというのだ。因みに、性ホルモンは加齢によって減少していき、加齢性の筋肉量低下やメタボリックシンドローム等の加齢性疾患にも関与するようである。

ジャマイカで日常的に食べている地域食材の山芋に、選手の強さの秘密があったというのだから驚きである。

なんと、このボルトらが主食にしてきたジャマイカ産の山芋の近傍種が、ここ沖縄にあるとして、琉球ヤムイモ「クーガ芋(トゲドコロ)」に注目が集まったのだった。

「この山芋を何とかせよ!」から始まった産業化への研究開発

「この沖縄の山芋、何とかせよ!」

ちょうどこの頃である、沖縄テレビ開発の社長からそう指令を受けたのは。

実は、沖縄テレビ開発の社長である大田は、長年、テレビマンとしてメディアの立場から、シークヮーサーやモズク、ウコン等といった沖縄の機能性食材を県内外に発信してきた裏側で、埋もれてしまって未産業化の食材や、県外に持ち出されて産業化されてしまった食材がある事に疑問を抱えていた。いつしか、これは沖縄の産業課題の一つだと捉え始めるようになっており、経済人たる自らの役目として、これに一石を投じたいと考えていたのである。

この 「何とかせよ」という指令を、何とかするのが健全な会社員である。

まず、最初に琉球ヤムイモ「クーガ芋」の生理活性に関する文献を調べてみると、2019年までに細胞実験から動物実験、ヒト実験へと実験のステージが上がっており、ポジティブなエビデンスが大学や研究機関、民間の大手食品メーカーによって蓄積されてきていた。

私たちは探し回ってようやく入手した、この琉球ヤムイモ「クーガ芋」のジオスゲニン含有量を試しに調査してみた。すると、なんと、自然薯や長芋といった他の日本国内の山芋と比較して、少なくとも50倍、個体によっては最大200倍近くの成分含有がある事が分かった。

収穫された琉球ヤムイモ「クーガ芋」。気候や土壌など栽培条件がある。

しかしながら、このようにポテンシャルがあり、沖縄の次世代スーパーフードとして国内外に発信できる可能性を十分に秘めた食材であるにもかかわらず、残念ながら未だ産業化がなされていないという状況である。これでいいのか?このままではいつか沖縄県外に持ち出されて産業化されるぞ!この辺がザル経済と呼ばれる沖縄の課題ではないのか…?

このような背景があり、社長の「何とかせよ」という言葉は「上手くやれ」と変換され、全く経験のない状態からクーガ芋産業化に向けた研究開発を自社でスタートすることとなった。但し、研究開発と言っても、経験ゼロ、ノウハウゼロ、技術ゼロの「ゼロゼロ状態」。そこにあるのは20~30代のスタッフ5名の純粋なハートだけであった。

沖縄の次世代スーパーフード「クーガ芋」とは?

さて、まずは琉球ヤムイモ「クーガ芋」の歴史や食経験を紹介する。

時は1832年(天保3年)、いまから190年前に遡る。琉球国は19代まで続いた第二尚氏の17代目、尚灝王(しょうこうおう)が統治していた。この時代、人々を苦しめたのは飢饉である。

天保の大飢饉は、江戸時代に起こった四大飢饉としても知られている。琉球においても干ばつと台風によって土砂災害などが発生し、これが要因となって大飢饉が起こった。飢饉は1816年、1824年~1827年、1832年と立て続き、多くの死者を出した。さらに、当時の尚灝王もまた病弱であったとの記録が残されている。

このような記録からも、当時の琉球国の民は必ずしも栄養状態が良かったとは言えないと容易に想像できる。そんな時代背景にあって、琉球から清に渡り、中国の食医学を学んだ渡嘉敷通寛は帰国後、琉球国王の御典医として王家の治療にあたりながら、沖縄で手に入る308品目の食材をピックアップして、その薬理作用を書き記した書物を完成させた。これが「御膳本草」という書物である。

御膳本草は本来、琉球王府にもたらされたものだが、飢饉という時代背景もあり、庶民の間にも広まったと考えられている。現代と比べてまだまだ栄養状態も悪く、医学も進んでいなかった当時は、食事で健康を維持増進させていく必要があり、御膳本草のような本草学がその礎になったのだろう。

御膳本草(當間清弘編纂版)。民間療法の礎となったと考えられている。
御膳本草(當間清弘編纂版)。民間療法の礎となったと考えられている。

そんな御膳本草に、以下のような食材の記述がある。

「腎氣を益し、脾胃を強くし虚損を補い、(中略)、肌肉を生し、(中略)、久しく食へば耳目総明ならしめ、身を軽くして寿を延うべし」(この説明が何を意味するかは後ほど解説する)。

必ずしも同定されているわけではないが、これはおそらく琉球ヤムイモ「クーガ芋」の説明というのが有力である。

琉球ヤムイモ「クーガ芋」の伝播

クーガ芋の伝播については、有史前(遠い昔)、南洋方面から伝わってきたというのが有力だ。これを示すように沖縄諸島での伝播は、西表島、竹富島、石垣島を経由して沖縄本島に広がっている。本州産の長芋や自然薯と同じ山芋ではあるものの、本州産の山芋類が温帯系山芋であるのに対して、クーガ芋は熱帯系山芋に分類される。

沖縄で山芋と言えば「ダイジョ」がある。ダイジョもやはり熱帯系の山芋で、読谷村やうるま市では毎年「ヤマンスーブ」といって、栽培収穫したダイジョの大きさや重さを競う伝統行事が行われている。このダイジョは、ウベという名称でも呼ばれ、鹿児島では銘菓軽羹(かるかん)の原料にも使われている。しかしダイジョとクーガ芋とは異なる品種だ。

クーガ芋という名称は、最近になって呼ばれるようになった名称であると伝播の歴史から考えられている。元々はトゲイモ、ハリイモ、タマゴイモと呼ばれていた。西表島ではトゥノウムと呼ばれていたと記録されている。「トゥノ」とは西表島の方言で卵をさす。沖縄本島に入ってからは「クーガ芋」とも呼ばれているが、これも最近になってからで、「トゥノ」や「クーガ」などタマゴを意味する名称が多かったことから、琉球大学熱帯生物研究センター米盛重友氏の文献にはタマゴイモと記されている。

茎と茎の間にトゲがあることから、その名がついた。
茎と茎の間にトゲがあることから、その名がついた。

このクーガ芋は、古くから貢納物として利用されてきたようだ。ある書物には、冊封使が来た際に八重山地方からわざわざ取り寄せて調理され、振る舞われたとの伝聞が残されていた。この山芋がクーガ芋だとは明記されていないが、ほかの山芋であれば沖縄本島地方でも栽培されていたはずだし、わざわざ八重山から取り寄せていることを考えると、クーガ芋である可能性は高いのではないか。このように貢納物としての利用などから、いわゆる高級食材だったと考えられる。実際に大正時代になるとクーガ芋は甘藷のおよそ5倍の高値で取引されていた記録もあるほどだ。

幻と呼ばれる所以

このクーガ芋が、なぜ幻の高級食材となったのだろう。

まず、この山芋は収量が少ない。大人の握り拳~鶏卵ほどの芋がコロコロと複数取れるが、可食部は1株から1~1.5キログラム程度しかない。熱帯系の山芋なので寒さに弱く、露地栽培における生産可能地域は沖縄地方が北限となっている。そして、栽培場所も選ぶ。海洋性ミネラルを多く含む、古代サンゴが風化してできた水はけのよい琉球石灰岩土壌が適している。さらに、年に1度しか収穫できず、また足がはやく日持ちしない。

これに加えて御膳本草に掲載の薬効作用や、読谷村誌農業編に記載のようにほかの山芋と比較して甘みがあり美味であるという特徴を持つ。これらの特徴が合わさって希少性が生まれ、高値で取引されたと推察できる。私が過去にインタビューした読谷村に住む90歳を超える老農は、「クーガ芋は戦前からお金持ちでないとなかなか手に入らない山芋で、手に入った時の夕食は楽しみだった」と話してくれた。
この山芋は昭和の戦禍にも巻き込まれてさらに生産量を減らし、沖縄県民でも知る人ぞ知る存在となっていった。私がこれまで調査を行った感覚では、その認知度は100人にせいぜい1人か、2人程度ではないかと思う。まさに幻の山芋である。

ウコン・もずくと並ぶ食材に

先ほど紹介した御膳本草には、クーガ芋と思われる山芋について「腎氣を益し、(中略)、肌肉を生し」と記載されている。腎氣というのは中医学用語でヒトの成長、発育、生殖に影響を与えるエネルギーと説明される。つまり西洋医学でいう性ホルモンに近いものと捉えられる。そして、肌肉とは「筋肉」をさす言葉である。驚くべきことに、御膳本草を著した渡嘉敷通寛は、本文冒頭のジャマイカ陸上選手の話や、現代の科学によって解明されつつある山芋の生理活性を190年前にズバり言い当てているようで面白い。

このクーガ芋が、ウコン、シークヮーサー、もずくと並んで沖縄を代表する次世代スーパーフードになるとは、いまこれを読んでいる誰もが思わないであろう。ヘルスケア事業従事者や、美容や健康に興味関心のある読者のみなさんはぜひ注目いただきたい食材である。

私たちが研究開発に取り組むこの沖縄在来山芋へのチャレンジについては、続けて次回もご紹介する。

あわせて読みたい記事

あなたへおすすめ!