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OTV報道部

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戦後から島ぐるみ闘争へ

2022年5月15日、沖縄は本土復帰から半世紀の節目を迎えた。
OKITIVEでは復帰企画第2弾として5月15日に沖縄テレビで放送した特別番組「復帰50年未来へ」をテキスト化して随時公開していきます。
今回は「戦後から島ぐるみ闘争へ」です。

沖縄の本土復帰への道のり。それは1945年、太平洋戦争末期の沖縄戦にさかのぼる。住民を巻き込んだ熾烈な地上戦で、約20万人が命を落とし、県民も4人に1人が犠牲になった。戦後、沖縄はアメリカの占領下に置かれたのだ。

太平洋戦終結から7年後の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効される。
日本は主権を回復し独立が認められるが、沖縄は日本から切り離され、アメリカの施政権下に置かれた。沖縄の人たちは、この日を「屈辱の日」と呼んだ。

なぜ、沖縄が切り離されたのか?それは、当時の国際情勢が大きく関わっていると沖縄国際大学の前泊教授は指摘する。

沖縄国際大学 前泊博盛教授
「(1950年の)朝鮮戦争も動きだしていくということで、アジアにおけるアメリカの拠点として沖縄を使っていく。沖縄は切り離されますけれども、沖縄においては自由に基地を建設できる権利を日本国憲法から外れた場所でアメリカは手にします」

沖縄を統治下に置いたアメリカ国民政府・USCARは地主に対し、土地の賃借契約に応じるように迫った。これに反発する住民に対し、「土地収用令」や武装した兵士を出動させるなど実力行使に出た。

沖縄国際大学 前泊博盛教授
「戦前の沖縄というのは人口の75%が農業で生きています。農地を取られた農民はどう生きていけばいいのかと、基地に取られてしまったらどう生きるのかと。そこで反対をする、それに対して、銃剣とブルドーザーというこういう強行的な基地の接収が始まっていきます」

宜野湾の伊佐浜では、土地を奪われた住民が南米への移民を余儀なくされた。また、伊江島では土地を奪われた農民が「乞食行進」で窮状を訴えた。

伊江島土地を守る会 会長 故・阿波根昌鴻さん
「土地から離れては農民というのは生活できない、生きられない。一番この世に大事な宝物は土であるというのを私達は信じておるんです」

「30年目の証言~伊江島土地接収~」

いっぽうUSCARは基地機能を永続的なものにすべく「軍用地料の一括払いの方針」を示した。更新手続きや、地代の増額を無くすことで基地運用の円滑化を目的としていた。この「一括払い方針」に対し、立法院が土地の買い上げなどを拒否する「土地を守る4原則」を決議、USCARへの反発を強める住民は「島ぐるみ闘争」で抵抗した。

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