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真境名 育恵

真境名 育恵

沖縄のオンナは産んでいる!?出生数が高い沖縄の事情。

真境名育恵の19 PEDIA(19ペディア)

「OKITIVE」読者のみなさん、こんにちは。沖縄出身で県内在住の真境名 育恵(まじきないくえ)と申します。
今月からコラム「19ペディア」を担当することになりました。初めましての方も多いと思いますので、まずは自己紹介をさせてください。

私について

略歴としては県内短大卒業後、ラジオ局のアルバイトを経て縁あってタウン誌のライターとして雇用されるも、業界特有のハードな仕事内容についていくことが出来ずに一度挫折・・・(若かった)。
その後、すべてをリセットすべくアパレルをはじめ、環境保全NPO団体職員や那覇市教育委員会で働いたのち、専業主婦をしていた時のこと。当時「沖縄空手」にまつわる冊子製作を担当していた知人に「文章かけるでしょ?」と声をかけられたのがきっかけで、10年ほどフリーライターをしています。

沖縄国際海洋博覧会が開催された1975年3月生まれのB型で長女。
30代半ばに結婚し、数年間の不妊治療を経て40歳で超高齢妊娠・出産。日々体力の衰えと戦いながら双子女児の成長を見守る母親でもあります。

すっかりアラフィフと呼ばれる年齢となったにもかかわらず、基本的に「反骨精神」をベースにした“前のめり”な人生を送っているので、周囲からは

「生活感ないよね。」
「実年齢より若く感じるよね。」

と言われることもありますが、本人は至って真面目に人生に取り組んでいるつもりです。
日頃は男女問わず価値観が合い、信頼できる好きな人たち以外の評価はさほど気にせず、実にB型らしくマイペースに生きているタイプだと思います。

ライター 真境名 育恵さん 三年内近影
筆者 三年内近影

結婚と同時スタートだった私の妊活

さて、そんな私が綴るコラム「19ペディア」のテーマは、ずばり不妊治療(妊活)についてです。

早速ですが、私の妊活デビューは結婚した35歳と同時スタートでした。
妊活経験のあるみなさんはご存知かも知れませんが、公益社団法人日本産科婦人科学会において「オンナ35歳以上の妊娠」というのは高齢妊娠に該当します。

なんとも沖縄あるあるな事情を披露すると、沖縄長男と結婚した私にとって「結婚=孕む」ことが大事なお役目でした。
私自身それを受け入れて結婚したので、夫と話し合った結果、年齢的にも早々に不妊治療を開始することを決めました。

妊娠のイメージ写真
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不妊治療は心身ともに負荷がかかる上に、治療費も決して安価ではありません。(*不妊治療の保険適用という朗報:令和4年4月から、人工授精などの「一般不妊治療」、体外受精・顕微授精などの「生殖補助医療」について、保険適用されることとなりました。)

さらにいえば、不妊治療は必ず子どもを授かると確約された治療ではありません。「出口の見えないトンネル」と表現されるように、それはそれは過酷な治療だと経験者である私は断言します。

そんな過酷な妊活に苦悩する私のようなケースとは対照的に、沖縄県の出生数は高くなっています。
そこで記念すべきコラム第一回は「沖縄県の出生数が高い理由」について、考えたいと思います。

沖縄県の出生数が高い理由とは?

まずは「総務省統計局」(統計局は、総務省の内部部局の一つ。日本国政府の中枢的な統計機関として、国勢調査を始めとする国の基本的な統計の作成を担当している。)のホームページから【人口推計(2021年(令和3年)10月1日現在) ‐全国:年齢(各歳)、男女別人口 ・ 都道府県:年齢(5歳階級)、男女別人口】を調べてみると、都道府県別人口で47都道府県のうち「人口増加は沖縄県のみ」であることが記されています。

沖縄県の出生数が他の都道府県と比べて高い理由として、

①共同社会的な精神がまだ残っているため、子どもを産めば周囲と協力してなんとか育てていける。
②後継ぎの意識が強いため、男児が生まれるまで妊娠・出産を制限しない傾向にある。

というのが長年、巷では言われているようですが、実際のところはいかがなものでしょうか?

赤ちゃんの足(イメージ)
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①共同社会的な精神がまだ残っているため、子どもを産めば周囲と協力してなんとか育てていける。

確かに20代前半にして早々にシングルマザーになった身内の例を見ていると、そういった側面があるのは事実です。
しかし、その「社会共同体」から取りこぼされてしまう社会的弱者の女性たち(主に若年層)が存在します。そのため公的機関だけではなく、身近で緊急な社会問題に向き合うNPO団体などが、若年妊婦や社会的弱者の立場にいる母親たちを支援しており、新聞やTVなどで取り上げられている様子を日々見聞きします。
つまり「産めばなんとか育てていける」という、案ずるより産むが易し的な表現はいささか乱暴に感じてしまいます。

次に

②後継ぎの意識が強いため、男児が生まれるまで妊娠・出産を制限しない傾向にある。

について。
あくまでも私個人の経験からいうと、そういった前時代的な慣習は地域によっては未だ残っていて、私の母世代(70代以上の人たち)からは、実際に「男の子が生まれるまで出産した」という経験事例を数多く見聞きしました。また、実は私自身も40代で健康な双子女児を授かったのにもかかわらず、「男児(跡継ぎ)」を望まれて45歳までは妊活を継続する・・・というある種、得難い経験もしました。

このような経験も沖縄特有の祖先崇拝による「トートーメー(仏壇)至上主義」が、私をはじめとする沖縄女性に未だに重くのし掛かるという現実を浮かび上がらせているように感じます。

今回は、少々お硬めな話題になってしまったかもしれませんが、これらの現実を踏まえて、沖縄における妊活事情を私自身の実体験コラムを通してお届けしていきたいと思います。

双子、0歳児の写真
妊活して授かった双子、0歳児当時の写真

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