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OTV報道部

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県内に2か所だけバス専用の信号機 歴史的交通方法変更との関わり   

那覇市の開南交差点に「バス専用」の信号機が設置されているのは知っているだろうか。バス専用の信号機は、沖縄には2か所にしかないということだ。設置されたいきさつを辿ってみると、沖縄の歴史的な交通方法変更と関わっていることがわかった。

那覇市の開南交差点に設置されている「バス専用」信号機だ。この信号が青になると…全方面の一般車両が停止し、バスは右折専用レーンに車線変更をすることなく、バス停の位置からそのまま大きく右折する。なぜこのような交通方法になっているのだろうか。

沖縄の本土復帰から6年 交通方法は一夜にして様変わり

2022年から40年以上前の現在の国道58号線、那覇市泊高橋の様子だ。当時、アメリカ統治下だった沖縄では車は右側通行で、2022年とは逆だった。

沖縄の本土復帰から6年後の1978年復帰事業の総仕上げとして、交通方式は現在の左側通行へと変更された。1日にして県内の交通方式が変わったこの日は、7月30日に実施されたことから「ナナサンマル」と呼ばれている。

交差点の角に位置している開南バス停ではナナサンマル以前は、与儀十字路方面に右折する際にはこのように(青い線)行われていたが、ナナサンマル後は左側通行に変わったため、バス停に停車していた路線バスは、右折専用レーンに車線を変更をするための十分な距離が取れなかったため、ほどなくして「バス専用」信号機が設置された。

当時のバス運転手「感覚が掴めなくて苦労した」

沖縄バスの元運転手 山城健一さん
「カーブ付近とかね、交差点を曲がるとかね、こういったところは苦労しましたね」

沖縄バスの元運転手だった山城健一さん(75)は当時をこう振り返る。

沖縄バスの元運転手 山城健一さん
「大変感覚が掴めなくてね、大変苦労しましたよ。車のコースが変わったもんだからね」

山城さんは、沖縄が本土に復帰した1972年に沖縄バスに入社し、バスの運転手として6年目を迎えた夏ナナサンマルを経験した。

沖縄バスの元運転手 山城健一さん
「自然に反対方向を通ったりね、いつもの癖で向こうから対向車が向かってくるからね。あれ?あれ?どこが間違っているのと一瞬考えてね、自分が反対コースに入ってるねって、(正しい車線に)出たりね」

ナナサンマルが実施された直後は、いつにも増して安全運転を心掛けていたことで山城さん自身は事故を起こしたことはなかったということだが…

沖縄バスの元運転手 山城健一さん
「(バスが)滑って畑に滑り落ちたという話も聞いていますね」

(当時)玉城村でのバス転落事故

人の流れが大きく変わる バス停近くの店は移転や閉店も

交通方法の変更によって影響を受けたのはバスや車だけではない。

沖縄バスの元運転手 山城健一さん
「この上り下りが逆になって、お店もだいぶ影響を受けているところがありますね。バス乗っておうちに帰るためにね、ここで買い物やって帰るからね。これを逆になったら降りてすぐ仕事に行くからねこのお店に入らないでね」

特に開南バス停は、本島南部からたくさんのバスが出入りする交通の要所でバス停の周辺には店が軒を連ねていた。

沖縄バスの元運転手 山城健一さん
「これで店も閉まったりしてね。今まで人が利用していたのが、(交通方法が)逆になって利用する人がいなくなってね」

南部に帰るためにバスを待つ間利用していた店も、交通方法が逆になったことにより仕事や用事のためにただ降りるだけのバス停になってしまい。周辺の店に立ち寄る人も少なくなったという。

ナナサンマルの実施を目前に迎えたころ当時、開南バス停付近に店を構えていた人々はこう不安を漏らしていた。

書店の店主
「大いに影響があるということでいろいろ悩んでおるわけであります。ほとんど南部方面に行くお客さんはここからバスを乗られる。商売が全くできなくなるのではないかというようなことで心配しております」

Q.だいぶ影響あると思いますけど、今やっぱりバスを待っている人たちが買っていくわけですか?

雑貨屋の店主
「ええ、そうですね。(客が)半分以下に落ちるんじゃないかと思いますけどね。半分も売れないと思いますね…」

交通方法の変更によって人の流れも大きく変わり、移転や閉店をせざるを得なくなった店も多くあった。

書店の店主
「まあ、もう(経営は)無理ではないかということがだんだんはっきりしてきている」

「歩道橋から見ていた」「寂しさが大きかった」当時を知る人たちの記憶

ナナサンマルという歴史的な出来事は、経済への影響、本土復帰への思いなど当時を知る人にとっては、鮮明に焼き付いているようだ。

市場で働く人
「一応初めての経験さーね。どうなんだろうって朝早く市場抜けてこの歩道橋の上から見てはいたよ」

市場で働く人
「スムーズにできるかなって思ってたんですけど、やっぱり右側通っちゃうんですよ。お巡りさんに指示されて、また左に入るっていうような状態で。要するに交差点から右折しようとしたら、右に入ろうっていうクセっていうんですか本能みたいなものがあって」

市場で働く人
「やっぱり時代が変わるんだなという感じはありましたね。そういう歴史の変わりっていうのを実感しました。寂しいほうが大きかったんじゃないかな」

ナナサンマルから2022年で44年開南バス停は街の移り変わりを見てきた…

今後、開南交差点周辺の道路の拡幅に伴って、この開南バス停も那覇高校側に移設される計画があるようだ。変わりゆく景色の中、バス専用信号機もその役目を終える時が来るのかもしれない。

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