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OKITIVE編集部

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「馬糞を踏むと、足が速くなる」琉球競馬(ンマハラシー)・沖縄在来馬の歴史と魅力。

沖縄ではかつて「馬糞を踏むと、足が速くなる」と言われていました。小学校や地域の運動会が近づくと、少年たちは馬車馬が道端に落としていく馬糞を探し回ったそうです。足が速くなるのは馬糞を踏んだからではなく、馬糞を求めて街中を走り回ったからなのかもしれません。

そんな少年を育てる若いお母さんたちは、育児や家事、苦しい家計を支えるために帽子くまー(アダン葉を手編みしてパナマ帽を作る作業)の内職まで抱え、ジーファー(かんざし)を差したウチナーカラジ(沖縄伝統の髪型)を結う時間もありません。簡素に頭の後ろへ髪を丸く巻いて、ピンで留めただけのウチナーカラジもどきで済ましていました。その髪の丸い形状が馬糞の形に似ていたため「ンマヌクス・カラジ(馬の糞型の髪)」と、お年寄りにクスクス笑われたとか。戦前の沖縄には馬がたくさんいたから馬糞を目にすることも多く、馬糞に関した迷信や比喩も生まれたのです。

琉球競馬(ンマハラシー)・沖縄在来馬の歴史と魅力
ンマハラシー(提供:沖縄こどもの国)

沖縄県内の馬の飼育頭数(戦前)

薩摩藩が琉球王国に侵攻した翌年の1610年はおよそ8000頭、琉球併合(琉球処分)で沖縄県を設置した翌年の1880年には8198頭。1883年1万2450頭、1892年2万1720頭、1910年には3万235頭、日中戦争直前の1936年には4万6000頭。国内有数の規模を誇りました。
トラクターがなかった戦前の農家では馬と牛が主役です。保水力に乏しい琉球石灰岩土壌ゆえに稲作より畑作農家が多い沖縄では、素早く鋤(スキ)を牽ける馬が欠かせません。農家1軒に1頭と言われたほど馬耕が盛んでした。当時はサトウキビを運搬するのも圧搾機(サーター車)を回すのも馬。荷物を運ぶのも、人を乗せるのも馬。沖縄では大正時代から幹線道路の拡幅工事が急ピッチで進み、山原船を使った海運に代わって荷馬車による陸運が主流になりました。馬の荷役が激増したことも飼育頭数を右肩上がりにしました。

沖縄在来馬の歴史

琉球競馬(ンマハラシー)・沖縄在来馬の歴史と魅力
戦前、琉球競馬で活躍した屋良朝乗氏の乗馬姿=読谷村史から

在来馬とは?

沖縄で飼育されてきたのは、日本に8種残っている在来馬の「宮古馬」と「与那国馬」。どちらも体高(首の付け根から蹄の先までの長さ)120センチ前後、体重200キロ前後で、サラブレッド(体高170センチ前後、体重500キロ前後)よりも小柄ですが、足腰が強く、粗食にも耐えて頑張ります。昔のウチナーンチュみたいですよね。馬は撫で柄といいます。馬の気性は育て方次第で良くも悪くもなるとの意味ですが、沖縄在来馬の気性はおおむね素直、温厚で穏やか。家畜の性格は飼い主に似るといいますが、ウチナーンチュ気質を反映しているのかもしれません。

馬は環境に適応するために体を変化させていきます。琉球石灰岩の硬い土壌の上で代を重ねてきたため、その蹄は大理石のように硬質。蹄鉄を履かせなくても蹄は傷みません。そんな特性から古琉球時代には宗主国の明(中国)に求められ、硫黄とともに朝貢品となりました。

馬の渡来について

沖縄に馬が渡来したのは11世紀といわれています。本土より6世紀遅れて、朝鮮半島から九州、トカラ列島、奄美群島を経由して渡来した説が有力ですが、最初に史書に登場するのは13世紀。1383年の『明実録』に「内官・梁珉が貨幣をもって琉球に行き、馬と取り替えて帰る。馬九百八十三匹を得る」と記されています。当時は沖縄本島の三大勢力(中山、北山、南山)が拮抗する三山時代。中山は「牧」と呼ばれる直営の牧場を本島中部(読谷、嘉手納周辺)に設け、1500頭以上の馬を浦添の牧港から那覇港経由で明国へ送りました。競い合うように北山、南山も明へ馬を朝貢しています。

生活の変化

近世に入ると、甘藷の普及などで馬耕が重視されると同時に、乗馬用の需要も増加します。冊封使(琉球国王を承認する中国皇帝の使者)の一行400人を那覇の宿舎(天使館)から首里城まで送迎するために、数百頭規模の御用馬が必要になります。1683年の册封使・汪楫は『使琉球雑録』にこう記しています。「中山は馬大いに生息す。耕地皆馬を用いる。周年青草を食し、大豆を費さず、貧民も之を養う。事あれば即ち公家に役す。天使国に入るとき、従人乗馬せざるもの無し」。馬は一年中、生えている青草を食べるので大豆などのエサ代がかからず、誰でも飼えるとしています。公家に役するとは、冊封使一行を乗せる御用馬として使役するとの意味でしょう。

琉球王家や上級士族、その妻子、さらに高級神女も移動するのに馬を用いました。士族にとって乗り馬は現代の高級車のようなステイタスでした。朝飯を作っている間に石川伊波―首里間およそ30キロを往復したとされる、伝説の快速ホース「朝飯走馬(あしいはいんま)」。首里の仲田殿内から薩摩の島津公に献上された「仲田青毛」、琉球国王・尚貞の御料馬として石垣島から献上された「赤馬」などメルセデス・ベンツ、センチュリー級の名馬も出現しました。組踊「万歳敵討」(1756年初演)で描かれたような名馬を巡る争いも起こったようです。

1733年の「那覇横目條目」(条文)では馬食が禁じられました。「牛は年老いて使役に堪えられなくなった場合、あるいは、病人、70歳以上の老衰した人の滋養食料として必要な場合、届け出れば処分してもよい。だが、馬は絶対に処分してはならない」(意訳)。馬は役畜としての価値が牛以上に高かったからです。琉球王府は馬が死んだ場合、役人立ち合いのもとで埋葬することまで義務付け、食用にしないよう監視の目を光らせました。馬泥棒を働いた士族が法令「牛馬畜類盗律」により慶良間諸島に2年間の流刑に処せられる事件も起こりました。

琉球競馬とは

琉球競馬の創設

競馬と言っても、当時は着飾った琉球在来馬が2頭併走で美しさを競い合うものでした。世界に類のない競馬もこの時代に士族の娯楽として創設され、沖縄戦の直前まで連綿と受け継がれていきました。馬勝負(ンマスーブ)、馬寄とも呼ばれた琉球競馬は、冊封使節送迎の御用馬を選ぶ馬揃え(審査)が娯楽化、競技化したもの。琉球王府評定所の月ごとの業務を記録した『年中各月日記』では、競馬を「御用馬見立」と記しています。琉球競馬の馬場は松並木に囲まれた200メートル前後の直線走路。上り下りの勾配があるとハミを噛んで、リズムを崩しやすい馬の習性から全て平坦になっているのが特徴です。

1796年作成の琉球国之図には37の馬場、1880年の沖縄県統計概表には71の馬場が記されていますが、現在は那覇のコンサル会社・国建の調査で県内に200か所近い馬場跡が確認されています。近代に入って琉球競馬が隆盛を誇ったため、馬場も激増したのです。琉球王朝の滅亡により首里、那覇から県内各地へ帰農した士族(屋取=ヤードゥイ)がシーミー(清明祭)のように競馬を広めました。

琉球競馬(ンマハラシー)・沖縄在来馬の歴史と魅力
那覇市首里・崎山馬場跡
琉球競馬(ンマハラシー)・沖縄在来馬の歴史と魅力
今帰仁村・仲原馬場跡

県内の地誌には競馬にまつわる口説(くどぅち)が残されています。
・我んや島尻、真壁から、今日や三月三日、節日やてぃ、座波門(ザハジョウ)馬場に、出ぢ立ちゅん=島尻口説=
・五月稲穂祭(ウマチー)に馬揃て、揃ている馬勝負組、勝馬終(うちな)て角力(しま)囲(だつ)さ=具志頭・新城口説=
三月三日や五月ウマチーなど年中行事に開催された競馬の人気ぶりがうかがえます。

そんな琉球競馬の主役でもあった琉球在来馬が絶滅の危機に立たされたのは1917年。軍馬に適した大型改良馬(雑種)を生産するため、小柄な在来牡馬の去勢(断種)を定めた馬匹去勢法(ばひつきょせいほう)を陸軍省の要請で沖縄県にも適用しました。その結果、1920年には1224頭飼育されていた本島の乗用在来馬が、1935年にはわずか78頭に激減。出場馬が集まらず、琉球競馬は廃止されます。

追い打ちをかけるように、沖縄戦では大型雑種も含めた県内飼育馬の4分の3が犠牲になり、生き残ったのは7731頭でした。戦後は自動車やトラックの普及、農業の機械化などで馬の役割がなくなり、減少の一途をたどります。2022年現在、沖縄県内で飼育されている馬はおよそ500頭。そのうち沖縄在来馬はおよそ170頭(宮古馬およそ50頭、与那国馬およそ120頭)に過ぎません。

宮古馬
宮古馬
宮古馬
宮古馬
与那国馬
与那国馬

「馬糞を踏むと、足が速くなる」。そんな迷信を口にする人もいなくなりました。一年中、青草が繁っていた道端には除草剤が撒かれ、数少ない在来馬が路上を歩く光景も見られなくなりました。しかし、時代が移り変わっても温和で素直で頑張り屋な在来馬の気質は変わっていません。馬は役割があれば存続できる役畜の代表。観光乗馬、触れ合い、ホースセラピーから、消防車、救急車が通れない場所での救助活動、果樹園での馬耕…。現代社会のなかでも時代に合った多くの可能性を秘めています。活用なくして保存なし。一度失えば二度と戻ってこない島の貴重な在来種を生かす道を一緒に探っていきましょう。足が速くなる材料が落ちているような青草茂る道を。ちなみに、馬のフンは臭くないので踏んでも大丈夫です。

HY_在来馬

HYゴーゴーゴーヤー「琉球馬の歴史」2022年10月15日(土)17時〜 放送

※この番組はOTV沖縄テレビ放送(沖縄県内8チャンネル)で放送です。

沖縄の在来馬「琉球馬」とは?
沖縄こどもの国でHYが琉球馬と触れ合いながら、かつて沖縄に住む人々の生活に欠かせなかった馬の歴史と、生態を学びます。
琉球馬のつぶらな瞳にキャンキュン。いまの取り組みもご紹介。
そんな琉球馬の歴史や魅力を「HYゴーゴーゴーヤー」で紹介します!
スポニチ競馬記者の梅崎さんを迎えてHYが琉球馬の魅力に迫る、学びと癒しの放送回!

【キャスト】
HY(Vo&Gt 新里英之 Dr 名嘉俊 Ba 許田信介 Key&Vo 仲宗根泉)

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