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普久原 朝弥

普久原 朝弥

生盛 亜勇太 全国の猛者と世界に挑んだ自信を胸にさらなる高みを目指す快速右腕【羽ばたけ!琉☆球児】(沖縄発 野球応援企画)

興南高校のエース・生盛 亜勇太(せいもり・あゆた)

野球王国沖縄の新たなスターの原石に迫る!シリーズ企画!【羽ばたけ!琉☆球児】

甲子園に出場する学校は母校でなくてもテレビを囲んで応援。
球春到来を告げるプロ野球春季キャンプも毎年県内各地で大盛況。
そんな野球愛溢れるウチナーンチュの皆さん必見!
OKITIVEでは、沖縄県出身のアマチュア野球界の有望選手を紹介する【羽ばたけ!琉☆球児】をシリーズでお届けします。

生盛 亜勇太(興南高校)
2004年11月15日生/沖縄県那覇市出身
大名メッツ-城北中学校-興南高校
投手/177㎝・72㎏/右投左打

身体全体のしなりを生かして投げる躍動感のあるフォームが特徴的。手元で伸び上がるストレートは一級品で打者の内角を突く強気なピッチングが持ち味。

2022年夏、沖縄で最も注目された高校球児といえば、生盛亜勇太である。

記憶に新しい夏の全国高等学校野球選手権では、県代表・興南高校のエースとして聖地甲子園のマウンドに立った。初戦の千葉・市立船橋戦で先発。
序盤からテンポよく危なげない投球を重ねていたが、味方打線が5点を先制した直後に崩れ5回までに3点を失う。
さらに2点リードで迎えた8回にソロHRを被弾、流れのままに同点タイムリーを浴びたところで生盛はランナー1人を残し9回途中で降板。それまで外野を守っていた安座間竜玖にマウンドを託した。
県民誰もがテレビ・ラジオに釘付けになった最終盤、死力を尽くした熱闘の末、5-5同点の無死満塁からサヨナラ押し出しデッドボールというまさかの敗戦を喫した。

甲子園では初戦で敗れたものの、しなやかなフォームから繰り出す伸びのある直球を武器に腕を振りつづけた生盛の熱投はU-18 侍JAPANの関係者の目に留まり、高校日本代表入りを果たした。
甲子園が閉幕した9月にアメリカ・フロリダ州で開催された「WBSC U-18ベースボールワールドカップ2022」で生盛の本来の実力が一気に開花した。
初戦のイタリア戦に先発すると最速144キロの直球で相手打線をねじ伏せた。
その後のオーストラリア戦、韓国戦と登板し3試合連続で無失点に抑える完ぺきなピッチングを披露し日本代表“SEIMORI”の名を世界に轟かせた。
ネット裏に集結したアメリカ・メジャーリーグの関係者も生盛のピッチングを絶賛していたという報道も出るほど注目度はうなぎ上りだった。

甲子園を沸かせた山田陽翔投手(近江・滋賀)に松尾汐恩捕手(大阪桐蔭・大阪)、超高校級スラッガーでドラフトの目玉・浅野翔吾選手(高松商・香川)など、全国から結集した同世代の猛者たちと世界で銅メダルを獲った経験は大きな自信になったはずだ。

しかし生盛自身、高校卒業と同時にプロ野球に挑戦するのではなく、これからさらに4年間、大学野球のステージで己の鍛錬に励む道を選んだ。今後、彼の野球人生にはどんな道が待っているのだろうか。生盛が思い描く未来予想図を語ってもらった―――。

――今日は宜しくお願いします。高校3年間の野球生活を振り返っていかがですか?

生盛
「1年生の頃はコロナ、2年生では腰を怪我してしまいリハビリの期間があって、あんまり野球をした記憶がないんですけど、最後3年生の夏だけに懸けてやってきたので、そこで活躍できて甲子園も出場して、U-18にも選ばれて、苦しい時期の方が長かったんですけど、最後に花を咲かせることができて充実した3年間だったと思います。」

――初めて甲子園のマウンドを踏んだときの実感はいかがでしたか?

生盛
「今まではテレビの前で観ている立場だったので最初はどんな感じなんだろう?って気持ちだったんですけど、マウンドに立ってみたらそこから見える景色は特別で投げていて一番楽しかったです。」

生盛 亜勇太投手 取材時の様子

――試合は惜しくも敗れてしまいましたが市立船橋戦を振り返ってみていかがですか?

生盛
「9回を投げ切れなかったのは悔しいんですけど、その中でも今後に生かせる課題を見つけられたのは良かったと思っています。スタミナ不足だったり、変化球も豊富ではないので、大学に行って球種を増やすこともそうなんですけど、体重もアップさせて体を強くするということに取り組んでいきたいと思っています。」

――高校日本代表として全国のトップ選手に交じってプレーしてみてどうでしたか?

生盛
「選ばれたと聞いて最初は率直に、『自分でいいのかな?』という気持ちが大きかったです。代表メンバーは本当に野球に取り組む姿勢も意識も高くて良い刺激をもらえて勉強にもなったので本当に良い経験が出来たと思っています。川原嗣貴投手(大阪桐蔭)とは、私生活も練習の時もずっと一緒にいました。大阪桐蔭という高校球界で最も力のあるチームのエースなので、キャッチボール一つにしても丁寧に大事に行う姿勢の面もそうですし、また受けるボールの質も全然違いました。そういう部分にやはり差を感じてそこは自分も沖縄に帰ってきてキャッチボール前のウォーミングアップを彼の真似をしたりして取り組んでいます。」

――日の丸を背負って戦うプレッシャーはどう感じていましたか?

生盛
「甲子園ではあまり緊張しなかった自分も、国際大会独特の緊張感というものは感じていました。雰囲気に飲まれる瞬間もあったんですけど、守りにつくバックも日本の高校を代表する上手な選手ばかりだったのでそれを信じて投げた結果、(3試合連続で)無失点に抑えることができました。アメリカではストレートのMAX(最高球速)も更新して、まっすぐの強さっていうのはどこの国にも通用することができたと自信を持てました。」

――高卒からプロという選択肢もあったと思いますが大学進学を決めた要因は?

生盛
「興南高校に入学して高校からすぐプロに行くっていう考えもあったんですけど、それよりも自分が学びたいことが学べる大学があって、そこに興味があって。しっかり実力をつけて4年後にプロを目指そうと思ったので、まずは大学行って体を作ろうと思い、進学を決めました。」

――憧れている野球選手、目標としている選手はいますか?

生盛
「ソフトバンクの千賀滉大投手を意識しています。チームのエースとして1回から9回までどんな状況でもチームのために投げている姿が印象的でそこは見習いたい。一番尊敬している選手です。」

⚾生盛亜勇太の俺を育てた “地元メシ”

生盛
「自分は高校2年の9月に寮に入ったんですけど、2カ月に一度、外出日っていうのがあって、チームメイトと少しの時間外出できるんです。その時に近所にある焼き肉屋さんに行って、みんなと会話を楽しみながらご飯を食べている時間が一番の楽しみでした。野球以外の話とかプライベートの話もして。自分はビビンバとかキムチとか韓国のメニューが好きでよく食べていました(笑)」

⚾野球で夢を叶えて“恩返し”

生盛
「両親とおじいちゃんおばあちゃんですね。おじいちゃんは小さい頃からキャッチボール相手をしてくれて、学校が終わって帰ってきたら、みんなと遊ぶより野球するのが本当に楽しくてずっとおじいちゃんと一緒に練習を小学校の低学年の頃からやっていました。自分のことを「自慢の孫」とほめてくれたり、おじいちゃん同士の会話とかでもそういう話になるらしくおじいちゃんも嬉しいと言ってくれていました。」

――最後に今後の意気込みを聞かせて下さい!

生盛
「自分は大学へ進学が決まっているのでその4年間は長いと思うんですけど、しっかり課題を見つめて最終的には4年後にプロに行って、行くだけではなくて一流のプロを目指してプロ野球で活躍できるように4年間頑張っていきたいと思っています!」

*取材後記*
マウンドで見せるキリッとした表情と打って変わって爽やかな笑顔が印象的な生盛投手。けがに苦しんだ辛い時期を味わったからこその精神的な成長もこの先大学野球での4年間に活かしてさらなる飛躍を県民にみせてくれることでしょう!

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