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OTV報道部

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11月1日「泡盛の日」に振り返る「100年古酒を育てる壮大なプロジェクト」

【OTVライブラリーより/2003年9月4日放送】

60年以上の歴史を誇る沖縄テレビのライブラリーより、過去に放送したリポートや、貴重な映像をご紹介します。

2003年9月に放送した末吉教彦記者のリポートでは、泡盛を100年寝かせて古酒を育て、次世代への夢を繋ぐというプロジェクトを紹介しました。

「古酒~100年後の夢~」

末吉教彦記者リポート
「古には200年、300年と寝かせた泡盛も存在していたということですが、こちらでは、はるか100年の歳月をかけて、古酒を育てる試みが行われています。」

糸満市にある泡盛メーカーの製造工場。
その一角に並ぶ甕の中で、泡盛は100年の歳月を経て解き放たれる日を待っています。平成9年から貯蔵を始め、今年で7年目を迎えました。(※2003年当時)

プロジェクトの参加者
「毎年ですね、その年の会員を募集して、会員で集まった分だけ。例えば100万円集まれば100万円分で甕を買ってね、それからお酒を購入して、その分を詰めて置いとくっていう形になってます。」

東南アジアがルーツと言われる泡盛はタイ米を原料に黒麹菌を使って製造されます。
戦後は外国からのウイスキーに押され受難の日々が続いたものの、各メーカーの企業努力により、こんにちでは本土でも独特の風味が高く評価され、沖縄を代表する銘酒として、その地位を確固たるものにしています。

那覇市のとある居酒屋。
100年物の古酒を育てていこうという壮大なプロジェクトの仕掛け人が、この店(うりずん/那覇市)のオーナー土屋さんです。

土屋實幸さん
「元々あった酒を要するに“復元”だよね。自分たちが考えたことじゃなくて。大きな戦争でみんななくなったからだから。だからみんなでまた作ろうよっていう、それがきっかけです。」

寝かすほどまろやかな味わいになると言われる泡盛。
瓶詰めでも熟成が進むのが特徴ですが、陶器で古酒を育てるには、飲んだ分や自然蒸発分を補うために新しく酒を注ぐ「仕次ぎ」を行います。

プロジェクトの参加者
「仕次ぎというのは昔の先人がね、生み出した知恵なんですよ。これは風味を損なわないで貯蔵して、酒の量も減らさないような、理想的な貯蔵方法なんですよ。」

土屋實幸さん
「だから仕次ぎをして、この先100年間生かす。仕次ぎ文化というのは泡盛にしかないからね、だからこれは大変な財産だと思うんですよ。」

沖縄戦で貴重な古酒を失った教訓から、平和な時代でなければ100年熟成の夢も潰えると話すメンバーたち。
県民の多くが各家庭で独自の古酒を育てて、子や孫へと代々受け継ぎ、そして結婚や出産祝い、それに正月などのハレの日に、家族でじっくり味わってほしいとの夢を持ち合わせています。

土屋實幸さん
「家庭だったらそれも家宝ですよね。一つの。例えばおじいちゃんが作った酒。子や孫に代々繋いでいく。これはもうすごい。ただ酒を飲むという、それも大事ですけど…そういう時間を作ってくれる酒、僕は非常に良い良い酒だなと思ってます。」

世代が変わっても、その時代を生きた証として受け継ぎたいもの。
育てる側の夢をも熟成の糧に。
100年後に目覚めるその日まで、古酒は静かに眠り続けます。

*当時のリポート制作者・末吉教彦記者のコメント*
「100年古酒の夢」を語ってくれた土屋氏も冥土へ旅立たれた。
2003年の取材から19年の歳月が流れ、その間も泡盛は静かに熟成の時を重ねている。
後の世を生きる人々が至高の一杯を口にするのは2097年のこと。
眠りから覚める、その日まであと75年である。
土屋さんとの出会いは、その後の取材活動の幅を広げた。
泡盛の熟成に欠かせない荒焼の甕をつくる職人に密着取材もした。
戦火を耐えて沖縄に現存する泡盛としては最古の古酒甕(2005年当時で140年、120年古酒)を取材する機会にも恵まれた。
「100年後にこの古酒を味わう人を唸らせたい」
土屋さんらの「物語」には、そうした想いも託されていたのではないだろうか。
私自身、前述の職人から買い求めた2つの酒甕を両親の故郷・伊是名島の泡盛で満たし、
「100年古酒の夢」を追体験している。
80余年が経ったころ、いったい誰が口にするのか…
そんなことに想いを馳せたとき、土屋さんの「浪漫」がほんの少し理解できた気がした。

【OTVライブラリーより/2003年9月4日放送】
※ご紹介している内容は2003年の放送当時の情報です。
※内容の一部を修正して掲載しています。

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