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OTV報道部

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「沖縄の伝統文化や歴史を知ってもらいたい」県系3世の陶芸家の思い

2022年に開かれたウチナーンチュ大会に、初めて参加したアルゼンチン県系3世の陶芸家新門春助マルティンさん。作品づくりをとおして「沖縄の伝統文化や歴史を伝える役割を担いたい」と語るマルティンさんの想いに迫った。

沖縄とペルーの文化を融合

新門春助マルティンさん
「壊れなかったとかヒビが無かったとか色もきれいだと嬉しい」

中城村で陶芸の工房を営む新門春助マルティンさん。
アルゼンチン出身の県系3世で2021年、沖縄に移住して工房を構えた。
マルティンさんの作品は主にシーサーだ。

新門春助マルティンさん
「牛の角のイメージを持っていたペルーの歴史とシーサーを混ぜておもしろい」

ペルーの一部の地域では牛の置物を魔除けとして屋根に置く風習があるそうだ。
この作品は、シーサーの尾を牛の角に見立てて沖縄とペルーの文化の融合を表現している。

新門春助マルティンさん
「(周囲から)インフォメーション聞いて、それ面白いと思ったら作品に多分できます。頭の中でアイデアのイメージ考えてシーサー作ります」

作品には自由な発想と、型にはまらない独自の視点が活かされている。

沖縄を知るにつれて文化や歴史に惹かれていった

うるま市出身の父方の祖父母と南城市出身の母方の祖父母を持つマルティンさん。
ウチナーンチュ一家の下で育ったが、沖縄の文化に日常的に触れる機会は無かったと振り返る。

新門春助マルティンさん
「15歳以前は沖縄の歴史が何もわからなかった。なので、インターネットで調べた。あの時戦争があったことと、みんなお金なかったから他の国に行きたい」

沖縄の事を知るにつれ強く、その歴史や文化に惹かれるようになったマルティンさん。31歳の時、うるま市の事業で初めて沖縄を訪れた後、その2年後の2019年には県費留学生として県立芸大で陶芸や染物など伝統工芸を学び沖縄で陶工を志すことを決意した。

作品を通して悲惨な沖縄戦の歴史を若者にも伝えたい

マルティンさんの創作活動にはある思いが込められている。

新門春助マルティンさん
「若い人に他の方法で沖縄の歴史を教えたい」

作品のテーマの一つが戦争だ。

新門春助マルティンさん
「ここから(人が)ジャンプしてシーサーが『何で』って」

──助けようとしている?

新門春助マルティンさん
「そう」

多くのウチナーンチュが犠牲となった、南洋群島の戦闘では追い詰められた住民が次々と崖から飛び降りて自ら命を断ち、また沖縄戦では、住民が避難するガマには無数の艦砲射撃が撃ち込まれ多くの犠牲者が出た。

新門春助マルティンさん
「作品で『何でガマがありますか?』『何で足跡を作ったの?』若い人たちが自分で質問して 自分で沖縄の歴史を探します」

華やか伝統文化と併せて沖縄が辿ってきた悲惨な歴史も広く知ってほしいと、マルティンさんは作品に想いを込めている。

ウチナーンチュ大会を通しアイデンティティを再認識

2022年10月31日、開幕したウチナーンチュ大会。
シーサーを販売するブースを出店して初めてウチナーンチュ大会に参加した。

アルゼンチン人の県系人
「同じアルゼンチン人として自分たちの文化と沖縄の文化を混ぜて新しいコネクションを作ろうとしていて良いなと思います」

アルゼンチン沖縄県人連合会 金城ラファエル 会長
「彼の祖父が過ごした沖縄の文化と彼が住んでいたアルゼンチンの文化を融合させてアルゼンチンと日本、沖縄の輪を融合させることが出来てとてもすごいです」

アルゼンチンに住む従姉妹たちも会場に駆け付けた。

マルティンさんの従姉妹
「マルティンが沖縄にいることが誇りに思えるし、おかげでこっちにも来れたので嬉しい」

マルティンさんの従姉妹
「シーサーもとてもきれいでとても幸せでマルティンをとても誇りに思う」

新門春助マルティンさん
「ウチナーンチュであることですぐに新しい絆が出来て、兄弟のように感じている」

世界各国で生活を営みながら沖縄にルーツを持つ同じ県系人との出会いはマルティンさんにとって自分のアイデンティティを再認識する場となった。

新門春助マルティンさん
「僕15歳まで沖縄のルーツを全然知らなかったから今とっても嬉しい。僕のルーツ素晴らしかったからね」

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