公開日
新里 一樹

新里 一樹

「花」で沖縄からマンハッタンをめざす!フローリストkemmyさん

新里一樹 Me We OKINAWA

沖縄県が掲げる「稼ぐ力」をキーテーマとしている本コラム。これまで沖縄のスタートアップ企業にスポットライトを当て、ご活躍の方々にお話をうかがってきた。前回に引続きスタートアップやテック業界からは少し離れ、他分野で活躍するスペシャリストにスポットライトを当てる。

花で空間装飾や、さまざまなクリエイティブを彩り、圧倒的なビジュアルで見る者を魅了するフローリストのkemmyさん。これまでに、人気TV番組ウィンウィンの特番時スタジオ装飾や、北谷にある人気飲食店「IrishPub Howdy」、「Barry’s」の空間装飾、ファッションマガジン「be-o」の表紙装飾なども手掛けている。華やかなクリエイティブの世界に身を置くkemmyさんだが、学生時代や社会に出たての頃を振り返ると、将来に希望を持てずにいたという。そんなkemmyさんが、なぜ花に魅せられるようになったのか?世界に向けて羽ばたこうとするkemmyさんの現在地を探るためインタビューを申込んだ。

福岡県出身で沖縄在住のkemmyさん。フローリストとして花材を使用した店舗装飾、TVや雑誌装飾、広告宣伝などのクリエイティブで数多くの実績を持つ。
福岡県出身で沖縄在住のkemmyさん。フローリストとして花材を使用した店舗装飾、TVや雑誌装飾、広告宣伝などのクリエイティブで数多くの実績を持つ。

幼少期に全く想像していなかったいまの自分

――kemmyさんの話をお聞きする前に、まずはフローリストとはどういう職業か教えてください。

kemmyさん
「端的に表現すると、フローリストとは”お花屋さん”のことです。現在の私の活動は、ブーケなど小さなものではなく、花を使って空間全体を彩るものが多いです。」

――なるほど、フローリストはお花屋さんをさすのですね。kemmyさんは幼少期の頃からお花に囲まれて過ごされたのでしょうか?

kemmyさん
「いいえ、全く。むしろお花への興味どころかあらゆるものへの関心が薄く、世間をほとんど知らずに幼少期は過ごしました。」

――幼少期の想い出や体験に、いまとつながる何かがあると思っていたので、完全に肩透かしをくらいました。では、どのような幼少期や学生時代を過ごしたのでしょうか?

kemmyさん
「私は、学校は全て佐賀県ですが、居住区は福岡県と佐賀県を行ったり来たりした生活だったので、幼少期からコミュニティーを意識していました。学校の友達は佐賀、近所の友達は福岡、幼い頃は学校が違うだけで別世界ですよね。“違う文化を持った世界がすぐそこにある”感覚を幼い頃から持てたことは、いまお仕事をする上でも活きています。

ですが、当時の私を振り返ってみると、毎日を漠然と過ごしていた気がします。何かに熱中したとか、部活で汗を流したとか、勉強を人一倍頑張ったとかもなく。平凡な学生生活を送っていたと思います。どうして熱中できないのか、どうやったら何かに打ち込めるようになるのか、不安に近い悩みを持っていました」

――kemmyさんのあの圧倒的なクリエイティブからは想像がつきません。もっと強烈な、何かこう原体験のようなものがあって、それがいまにつながっているものと勝手に想像していました。

kemmyさん
「唯一挙げるとすれば、12歳と13歳の頃のアメリカホームステイと、大学時に数ヶ月滞在したラオスやバングラディシュへの植生調査ですね。世界一の経済大国と、アジアの最貧国といわれるような国々です。海外に行くと”文化や食生活の違いに驚いた”というのが一般的な感想だと思いますが、私が現地で感じたのは、ここでは私は自由なんだということです。それが凄く刺激的でした。親元を離れて異国の地にいる。自由な反面、自分の力で歩かなければ、私のことなんて誰も助けてくれない。日本だと忘れがちですが、海外では死はいつも本当に文字どおり隣り合わせです。これが少し世界観を変えたかもしれません。」

学生時代に訪れた東南アジアの国々。海外では親元を離れて自由になった反面、自分自身の全ての行動に責任が問われている気がしたと言う。
学生時代に訪れた東南アジアの国々。海外では親元を離れて自由になった反面、自分自身の全ての行動に責任が問われている気がしたという。

――ラオスやバングラディシュでの植生調査とは、具体的にどのようなことをされていたのでしょうか。

kemmyさん
「大学が国からの依頼を受けた業務の一つで、少数民族の生活や基礎情報を調べる内容でした。半分義務でやっていたので、私はとりあえず葉野菜や薬草を調べていましたが、残念ながらほとんどはもう忘れました。山奥の小屋で生活しながらの調査で、正体不明のものを現地の人から勧められて食べたり、やたら獣臭のある得体のしれないお肉を食べたりと、なかなか刺激的な経験でした。時には突然のスコールに見舞われて、泥水をすすったり… いまとなっては良い想い出です(笑)」

職業「フローリスト」の門を叩くきっかけ

――フローリストをめざしたのはいつ頃でしょうか?

kemmyさん
「大学を卒業する間近になっても就職先を決められずにいました。大学生の頃に、地元福岡県の駅前に本店がある花屋さんでアルバイトをしていたので、とりあえずそこで働くかと軽い気持ちでエントリーしました。」

――「俺はフローリスト王になる」的な鼻息荒い姿を想像していましたが、入口はそうではなかったのですね?

kemmyさん
「もう全然です。最初の二年くらいは毎日泣きながら家に帰っていました。私は花の種類はおろか、レジでのお花の包み方も全く知らないで飛び込んでいたのです。最初はフラワーアレンジメントで使用するオアシス(給水スポンジ)も何これ?というレベルでした。加えて肉体労働で朝も早く、夜遅くまで週6日勤務が本当に辛くて、やりがいなんて感じる隙もなかった気がします。」

――転機が訪れたのは、それからしばらく経ったときだったのでしょうか?

kemmyさん
「そうです。私は売上げが悪すぎて撤退を勧告されていた店舗の勤務でしたが、ある日、社長が直接テコ入れすることになりました。厳しさもあって、私以外の人たちはあっという間に辞めていきました。残ったのは私だけで、マンツーマンで、商業的な部分に関するレクチャーを受けたときです。たくさんの失敗をして、たくさんの方々に迷惑を掛け、たくさん怒られながらも、店舗でのお花の陳列方法、花束を作る際の花の選び方まで、店舗が利益を出すためのノウハウをしっかりと学ばせてもらいました。すると、漠然といわれたとおりにやっていた日々の仕事だったのに、パズルのピースが一つ一つハマっていく感覚を味わいました。そこからは水を得た魚です。もう、仕事が楽しくてどんどんのめり込んでいきました。」

駆け出しの頃のkemmyさん。大学卒業後に入社した花の小売店では、商売のことも花に関することも分からず精神的にも肉体的にも落ち込むことが多かった。
駆け出しの頃のkemmyさん。大学卒業後に入社した花の小売店では、商売も花も分からず精神的にも肉体的にも落ち込むことが多かった。

花屋経営のノウハウ

――花屋の店舗経営には、どのようなノウハウが隠されているのでしょうか?いえる範囲内で教えてください。

kemmyさん
「私が勤めていた店舗に限った部分で一つ紹介すると、店舗の周辺環境や時期によって売れるお花と、売れ行きが悪いお花ってどうしても出てくるんです。店舗でのフローリストの腕の見せどころは、こういった売れる品と売れない品を違和感なく組み合わせてお客さんに喜ばれるギフトとして提案するかが重要なんです。

『かわいく豪華に』と注文を受けますが、その感覚は人それぞれです。とはいっても、あなたのかわいいってどういうことですか?ピンクですか赤ですか?なんて細かく聞けないですからね。最小限の情報で最大限のパフォーマンスを、これは幼少期に経験した『文化の違い』が原点です。経験を積むに従って段々と数百種類の花の底値と最高値、年間平均の金額が頭に入っていったので、花の原価と売上が即座に計算できるようになっていき、陳列している花鉢から花を取りながらチャリーン(今日も利益が上がった)と脳内で聞こえるくらいにまでなりました。」

――その後は普段の生活にも変化が現れましたか?

kemmyさん
「もう断然お花と会計が好きになりましたし、仕事が終わってからも、休みの日も、花と会計の勉強をするようになりました。花、花、花。花が生活の中心です。もう1日24時間では足りません。

あるとき、薄いベージュの色味をしたカーネーションをなんとなく仕入れました。そのカーネーションには伝票に”ナナ”って書いてあったんです。花の名前はカサブランカに代表されるように、名前にも気品があったり、おしゃれな名前がたくさんあります。ところが、”ナナ”は名前も色味も地味で全然売れなかったんです。売れないなーと思いながら、『ふと、どうして”ナナ”なんだろう』と疑問に感じました。

そこで生産者を調べて電話してみると、実はその生産者が農場で大切に飼っていた柴犬の名前が“ナナ”で、毛色が似ていることから名付けられたと告げられました。決して表には出なくとも、生産者に愛されて生まれたお花だったと知り、お店の電話越しに号泣しました。この想いの詰まった”ナナ”というカーネーションを廃盤にしてはいけない、そう決意しました」

――なるほど。花はどこまで行っても花かもしれないけれど、そこには生産者の想いが存在しているのですね。

kemmyさん
「そうです。あまり売れなかった”ナナ”のポップにさりげなく、そのキャッチコピーのエピソードを書き添えてみたんです。すると、ペットを飼っている方を中心にどんどん売れるようになっていきました。コモディティ化しないためには、背景にあるストーリーが重要なのだとそのとき気づいたんです。それからは可能な限りキャッチコピーやその花の背景などを調べて、ストーリーとしてポップに表示するようにしました。これが付加価値なんだと理解できました。いまでこそ、誰もが色んな立場、角度から発信できますが、当時はまだそういう時代ではなかったのです。」

花の背景にあるエピソードやキャッチコピーまで含めてお客さんに提案する事が付加価値を高める事になると話すkemmyさん
花の背景にあるエピソードやキャッチコピーまで含めてお客さんに提案することが付加価値を高めると話すkemmyさん。店舗装飾の際には圧倒的な豪華さを意識しつつ、照明の位置、人の流れ、色調の濃淡、花の持ちなどを計算した繊細な配慮を欠かさない。

――面白いエピソードですね。店舗でのお花の小売から空間装飾へ移行していったきっかけを教えてください。

kemmyさん
「店長として2店舗ほど任せられるようになっていましたが、さらにステップアップをめざして、博多と天神にある都会的なボタニカルがコンセプトの医療法人の施設内植栽の仕事に就きました。空間を彩る世界への第一歩でした。昼間は植栽の仕事をしながら、同時期に夜は深夜1時前後まで近所の中州の花屋でバイトをはじめました。かつて店長も任せられていましたし、花屋の仕事は自信がありましたが、全くといっていいほど私は使いものになりませんでした。」

――福岡の中洲というと、たとえば居酒屋やBARといった飲食店のイメージがありますが。

kemmyさん
「そうです。まさにこれらの飲食店の店舗オープンやイベントに合わせて、毎晩絢爛豪華な花を届けるんです。

たとえばホストクラブでは、シャンパンタワーに飾る豪華なバラなどの注文も受けていました。ドラマなどでよく見るあれです。私がバイトした花屋は、中洲にある300~400店舗が顧客になっていました。その花屋の社長が凄かったのが、各店舗のライティング(照明)の位置を完璧に覚えていて、それに合わせて花をピックアップして装飾していくのです。照明の種類はもちろん、照度も角度も店舗によってさまざまです。あの店では赤いバラが映えるけど、この店ではそのバラは暗くくすんで見える、でもそのバラを使わないといけないときもあれば、違う種類の赤いバラを使っていくときもある。もうこれが2度目の衝撃でした。『お花の魅せ方ってまだ奥があるの?』『新鮮で手頃だったら売れるわけじゃないんだ!』と。

さらに“配達に行って手ぶらで帰ってくるな!”と怒られもしました。これには、しっかりと現場を見て頭にそれをたたき込んでこいという意味と、そのお店にいるお客さんを喜ばせて次の注文につなげてくるようにしなさい、の意味が込められていました。刑事ドラマで現場百回とか聞きますよね、私も同じ店に100回200回通って、『現場』を覚えてきました。

朝から夕方までは相変わらず医療法人の植栽を管理して、夜は酔っ払い同士の喧嘩の脇をすり抜け、幸せそうに歩くカップルの後姿を横目にしながら、中洲の各店舗へお花を届けるために奔走し、店舗装飾について経験を積みました。あー貧乏だったなー(笑)」

グアムへ渡航し、これからというときに…

――そこからどうやって沖縄にたどり着いたのでしょうか?

kemmyさん
「あるとき、海外でも活躍する沖縄出身のダンサーに魅了されて、『私も海外でフローリストとしての経験を広げたい』と思いました。グアムでフローリストの募集を見つけ採用をもらい渡航。さぁ海外での生活もこれからだというときに、なんと、就労ビザの関係で働けないことに…。

落ち込む暇なく、その会社からは『沖縄で会社を立ち上げるので、そっちに行ってくれ』といわれて、グアムから沖縄の地にたどり着きました。」

――失意のなか、グアムと同じ南の島、沖縄にたどり着いたのですね。

kemmyさん
「そうなんです。いろいろな巡りあわせがあって沖縄にたどり着きました。

沖縄に来てからは大手ブライダル誌の広告で装飾と仕入れを担当したり、北谷の人気店で店舗装飾を担当させてもらったり、テレビCMや番組での装飾をやったり、花を中心として活動の幅が広がった気がします。最近は県外からもお仕事をいただくようになりました。本当にありがたいことです。

沖縄で経験を積みながら再度、海外にチャレンジしました。しかもグアムではなく、アメリカ本国、ニューヨークです。いよいよ出陣となった瞬間、まさかまさかの新型コロナ感染症の襲来で渡航ができずまたもや白紙に…。」

kemmyさんの手がけた店舗装飾。
kemmyさんの手がけた店舗装飾。
目的や設置期間に応じて生花と造花を織り交ぜながら、kemmyさんは繊細な作業で丁寧に仕上げていく。
目的や設置期間に応じて生花と造花を織り交ぜながら繊細な作業でていねいに仕上げていく。

――勤務予定だったアメリカ本国の花屋さんとは、どういうところだったのでしょうか。

kemmyさん
「ニューヨークのマンハッタン、そのなかでも一等地にある花屋さんです。事前情報だと、顧客は世界最大手の投資銀行、超一流高級ホテル、レストランなどで、これらの装飾を担っているラグジュアリーなホテルにあるお店です。アメリカ経済の中心でもあるニューヨークって、呼ばれないと行けない場所だと思っているんです。必要ならばまたいつか呼ばれるし、行けないならそれまでだと自分にいい聞かせました」

沖縄で過ごした数年間とアメリカへの希望

――もう少しで手が届くところで、コロナという一種の不可抗力により断念をせざるを得ない。つらい経験をされましたが、どのように気持ちを切り替えたのでしょうか。

kemmyさん
「タイミングを待つのは、ダイヤル式の鍵を開けるのと同じ感覚だと思います。カチッ、そしてまたひとつカチッと望む条件が揃いだします。それがトントン拍子に進むときもあれば、何ヶ月、または年単位でかかることもあります。その間、相談にのってくれたり、手伝ってくれる仲間ができて、応援してくれたり味方になってくれる人がいて。これはタイミングを待つことがなければ得られなかったと思います。夢や目標もなく、自分に自信が持てず、お花どころか世間も何も知らなかった私ですが、それでも”等身大の自分”で良いのだと気づいたのも、一見遠回りとも思える時間を過ごせたからだと確信しています。

縁もゆかりもなかった沖縄で、お金もなく、ジュースも買えずに泣いた日もありましたが、いま、自分自身の足でこの沖縄の地に立っています。結局のところ、失敗や苦労した経験が私自身のエネルギーになっていますが、苦労して積み上げたものを全部壊してしまうのも重要。新しい何かとはその先にしかない。これが人生だと思います。」

kemmyさんのポートレート。表情を花で隠すのは敢えて伝えすぎないというテーマがあるから。独特の世界観でNFTアート作品としても高値で取引された
kemmyさんのポートレート。表情を花で隠すのは敢えて伝えすぎないというテーマがあるから。独特の世界観でNFTアート作品としても高値で取引された

――ようやくコロナ感染症の脅威も過ぎ去っています。今後のご計画を教えてください。

kemmyさん
「目標となるのは、就労ビザや新型コロナ感染症の影響で白紙になった海外への挑戦です。ほうきとチリトリしか持たされなかった人が、どうにかこうにか続けてきたその仕事だけで、Top of the worldの場所に自分の足で立てたら、少しは自分を褒めてあげたいです。沖縄で過ごしたこの数年間は、希望する土地で”等身大の自分の先にある自分”を実感するための大切な時間だと捉えています。来るべき日に備えてあともう少し、ここ沖縄で準備をしながら待ちたいと考えています。」

インタビュー後記

kemmyさんのクリエイティブは圧倒的の一言である。クリエイティブ制作で心がけていることを聞くと、「花を取扱うので、生け方や保存方法といった基礎的な技術も当然必要だが、圧倒的なビジュアルとライティングを活かす表現・制作にはこだわります、人の目は高感度ですから」と話す。圧倒的なビジュアルとは対称的に、kemmyさんのプロフィールにも使われているが、ポートレートでは顔や表情を花で隠すような作品が多い。聞くと、これは「全てを伝えすぎないことを表現している」という。苦労して積み上げてきたものを一旦、自分のなかでリセットしていくんだという発言には、むしろ、これからも花で自分の人生を切り開いていくのだというkemmyさんの決意を感じた。今後も世界に飛び立つkemmyさんの活躍を応援したい。

次回は、スタートアップ界隈で活躍中の方へのインタビューに戻り、沖縄から”藻”(も)を使った食品開発事業をおこなうフードテックベンチャー株式会社AlgaleX代表取締役社長 高田大地さんにお話をうかがう。沖縄育ちの藻がサステナブルな世界を実現する!?お楽しみに!

あわせて読みたい記事

HY 366日が月9ドラマに…

あなたへおすすめ!