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OTV報道部

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ディアマンテスの名曲「勝利のうた」日本に馴染めない南米の子を励ます思いから誕生

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熱い夏にはぴったり、情熱的なバンド「ディアマンテス」の代表曲「勝利のうた」

ーーこの曲の印象は…?

10代 那覇市: 
プロでサッカーをしている人たちの応援団の雰囲気とかいいなと思います

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10代 那覇市: 
FC琉球の試合のときこの歌で喜んでるよね。楽しくなって嬉しくなってくる。ハキハキするというかワクワクする

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女性 那覇市:
アガる!海!ビール!今めっちゃ欲しい、コロナ禍なので

日本に馴染めない子どもを歌で励ましたい

1994年に作られたディアマンテスの「勝利のうた」は、Jリーグや1998年のフランスW杯のPRに起用され、現在はFC琉球の勝利のテーマ曲として使用されている。サッカーのイメージが強いこの歌は、実際にあるサッカーチームに向けて作られた。

ディアマンテス・アルベルト城間さん:
きっかけは、群馬県にある「コスモス」という少年サッカーチームのための応援歌なんですね。出稼ぎに来ている南米から来た子供たちが日本での学校生活に馴染めなくて、この子たちに曲を送りたいなと…

ブラジルやペルーなど、南米から出稼ぎに来る移民が多い群馬県。100年以上前、沖縄から南米に渡った世界のウチナーンチュの子孫も暮らしている。

なかには日本の学校に上手く馴染めない子どももいて、そうした子たちを育むコミュニティとしてあるサッカーチームの存在を知ったアルベルトさん。歌で励ましたいと「勝利のうた」が誕生した。

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アルベルトさん自身の境遇も重ね合わせ…

南米の少年たちにこれほど思いを寄せた背景には、アルベルトさん自身の体験があった。

ペルーで生まれ育ったアルベルトさんは、祖父母が沖縄出身のペルー日系3世。19歳の時、北米・中米・南米の日系人が集う歌唱コンテストで優勝したことをきっかけに、日本で歌手になることを夢見て太平洋を渡った。

ディアマンテス・アルベルト城間さん:
ちょうど20歳の時に、東京で演歌歌手になりたいと思ってきたんですけど、やっぱりそれはとても無理でしたね

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ディアマンテス・トム仲宗根さん:
アルベルトのペルーの家に演歌のレコードがあるんですよ。そういうのをペルーに行って見たら、もう相当期待されていたんだなと…

ディアマンテス・アルベルト城間さん:
リサイタルもやって、見送るための募金も集めて、それが東京で1カ月半でなくなった。みんなの期待を裏切るなんてみたいなね。もう泣きながら沖縄に渡りましたよ

挫折を味わい、ルーツのある沖縄に渡ると、一度は歌手の道を諦めて居酒屋でアルバイトを始めた。

すると客から故郷の歌を聞かせてと度々リクエストを受け、ラテン音楽を披露すると、とても喜ばれたという。

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ラテン歌手として再びステージに立つようになり、やがてアルベルトさんは仲間たちと出会いディアマンテスを結成した。

ディアマンテス・アルベルト城間さん:
頑張ることは当たり前っていうこともあるんですけど、1人では何もできない。たくさんの仲間がいて、人と出会って、沖縄にはイチャリバチョーデー(一度会ったらみんな兄弟)っていう言葉があるようにね。「勝利のうた」にも、自分の頑張ってこれたことを重ね合わせているところもありますね

群馬県に暮らす同郷の少年たちの姿を自らの境遇と重ね、歌で励ましたいと作られた「勝利のうた」。綴られた歌詞のほとんどがスペイン語なのも、少年たちのためだった。

子どもたちも曲つくりに参加 その子たちは今…

当時、日本で生活していたペルーの子どもたちもレコーディングに参加した。

ディアマンテス・アルベルト城間:
勝利に向かって、最後まで生き切るじゃないですけど、生きる喜びを最後まで感じていただきたいなって。ただ、その彼らは今どうしてるんだろうなって…

1994年の曲の完成から27年…コーラスに参加した少年たちは、いまどこでどのように過ごしているのか?

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取材班は、歌詞カードに載った名前だけを頼りにリサーチを進めたところ、ペルーで暮らす照屋ディエゴさんにたどり着いた。

ーー勝利のうたのレコーディングに参加された方ですか?

照屋ディエゴさん:
そうですね。もうけっこう前ですけど。小1か小2の時ですね。聞くたびにその時代に戻るというか、昨日のように蘇りますね、記憶が。君らもできるんだっていう力をすごく感じました

35歳になったディエゴさんは現在、グラフィックデザイナーとして活躍中。

2019年に東京で開かれた展覧会でも作品が紹介された。昔から好きだったサッカーは今の仕事にも繋がり、サッカーのペルー代表選手からオーダーされたアート作品も手掛けている。

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ディエゴさんは、日本での経験がいまの人生に活きていると振り返る。

照屋ディエゴさん:
当時は外国人をサポートしてくれる人は、滅多にいなかったと思うんですよ。アルベルト城間は音楽を通してカルチャーショックを無くすようなことをしていて、すごく尊敬しますね

沖縄から小さなサッカー少年たちに贈られた歌は、今では多くの人々の心を奮い立たせる応援歌となっている。

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歌詞の「勝利」というのは、勝ち負けだけでなく、いろんな失敗も糧にしながら、自分を信じて人生の勝利を掴んで欲しいという思いが込められている。

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