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金城 わか菜

金城 わか菜

40歳になりました!あの頃の未来に待っていたもの【金城わか菜のカフを下げて】

金城わか菜アナウンサー(OTV 沖縄テレビ)のカフを下げて―

目次

子育て世代はアツくなる!あのおねえさん!

「あつこおねえさんが金武町にやってくる!」
OTV報道部もザワつきました!
こども番組「おかあさんといっしょ」の歌のお姉さんとして活躍した小野あつこさんのことです。
お母様が金武町出身ということで、このほど町の観光親善大使に任命され、地元の子どもたちを招いたミニコンサートも開かれました。

わが職場でも子育て世代は「あつこおねえさん」への想いが熱く、ぜひ取材にいきたいと、ミニコンサートが開かれる金武町の公民館へ出向きました。

金武町 観光親善大使就任のニュースはこちら!

こんな未来が待っていたなんて

取材をすると、会場となった金武町立中央公民館は、あつこおねえさんにとって思いで深い場所だと知りました。
毎年夏は、母の故郷・金武町で過ごしていたという小野さん。
芸術高校の受験のため、公民館のピアノを借りて練習をしたことがあったそうです。

「あのころピアノを貸してくださった公民館で、子どもたちを前に歌うことができた。こんな未来が待っていたなんて…」

インタビューに答えてくださった時のあつこおねえさんのきらきらした瞳、澄んだ美しい声が忘れられません。

私を待っていた未来とは…

あつこおねえさんの魔法のようなフレーズが胸に焼き付いて離れない今日このごろ、「まさか、こんな未来が待っていたなんて!」と思う出来事が私にもありました。

沖縄テレビで放送している「ワッターまちやぐゎー」の収録の日。店主・津波信一さんと控室でお会いした時のことです。
突然、津波さんが
「わか菜さん、ぼく玉城美香さんと二人でラジオやっているんだけどさ~。みーかーが『金城わか菜です~』とふざけて挨拶してさ~、ごめんなさいね~(笑)」と。

な、な、なんと!
身に余る光栄…、そんな言葉ではいい表せないぐらい舞い上がってしまいました。
だって小学生の頃の私は津波さんの大ファン。
二十歳ごろの信ちゃんが所属していた「笑築過激団」のファンクラブを勝手に名乗り、信ちゃんやゆうりきや~さんの切り抜きを集めていました。
(昔はローカル芸能を取り上げる雑誌も少なく、切り抜きは宝物でした。)

40歳になりました!あの頃の未来に待っていたもの【金城わか菜のカフを下げて】
まちやぐゎ~のセットにお邪魔して記念撮影させていただきました
40歳になりました!あの頃の未来に待っていたもの【金城わか菜のカフを下げて】

そして玉城美香さんといえば!
90年代、ヤングの心をわしづかみにしたラジオ沖縄の番組「へのへのうしし」
夜遅い番組だったので(23時ぐらい?)、夜な夜な布団に潜り込んで耳をそばだてていました。
聴けなかった時は友達が録音をしたテープを放課後に借りたりして。

そんなお二人がラジオで私の名前をおっしゃったですと!?
記憶が加速し、あのころのワクワクやドキドキが蘇ってきました。
「30年後の未来、けっこうおもしろいことが待ってるよ」
子どもの自分にそっと耳打ちしたくなる出来事でした。

40歳になりました!あの頃の未来に待っていたもの【金城わか菜のカフを下げて】
「イット!」のセットで、まちやぐゎ~の合言葉「イットぅけ~」のポーズ

40代に突入

私事で恐縮ですが、6月10日に誕生日を迎え40歳になりました。

40歳になりました!あの頃の未来に待っていたもの【金城わか菜のカフを下げて】

仕事で駆け抜けた30代前半、結婚して子どもを産んだ後半。
父親が他界し、生活は子育てが中心になり、働きかたも変わりました。
社会の在り様も、自分自身も様変わりしたこれまでの10年。
これからの10年、40代にはどんな事が待ち受けているのだろう。
10代・20代の頃のように毎日巡ってくる「初めて」の経験に心躍らせることはないだろうし、30代前半のようなエネルギーと自信に満ちた気分も、もう過去のことなのか。
そんなことを言うと先輩方から「何を青二才が!」と叱咤を受けそうです。

40歳になりました!あの頃の未来に待っていたもの【金城わか菜のカフを下げて】

4年ぶりのマスクなしの6月10日。
外に出て大きく息を吸い込むと、夏の始まりの匂い。冒険の合図。
いくつになってもときめく気持ちを忘れたくないな。
そんなことを考えていると、シワやシミが増えた数十年後の私が、そっと私のそばに現れて、「未来、けっこうおもしろいことが待ってるよ」って耳元でクスクス笑っている気もするのです。

40歳になりました!あの頃の未来に待っていたもの【金城わか菜のカフを下げて】

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