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進む軍備増強と南西シフトを慰霊の日に考える 戦争体験者が私たちに伝えたいこと
2023年6月13日、沖縄戦に動員され、若くして命を落とした元学徒たちの冥福を祈る追悼式が、糸満市摩文仁(まぶに)に建立された「全学徒隊の碑」の前で執り行われた。
多くの犠牲を生んだ戦世(いくさゆ)を生き延びた経験者たちが、今を生きる私たちに伝えたいこととは。
「今の状況を見て、私は沖縄戦前夜だと」
瀬名波榮喜さん
「あの悪夢のような沖縄戦が終わって78年の歳月が過ぎました」
降りしきる雨の中、90歳を超える元学徒たちが慰霊のために参列した。
瀬名波榮喜さん
「命のある限り、学友の冥福を祈り、そして恒久平和を追求していきたいと思っています」
78年前の沖縄戦で、県立農林学校から学徒兵として動員された瀬名波榮喜(せなは えいき)さん。
瀬名波榮喜さん
「今の状況を見て、私は沖縄戦前夜だという言葉を使っております。今みたいに自衛隊が南西諸島の方に移動してきて軍備を強化している、この姿がまさに沖縄戦前夜そのものです」
戦世から78年。太平洋戦争末期の沖縄戦。
日本軍は前の年の1944年3月、南西諸島防衛を目的に沖縄に第32軍を組織した。
男子は兵士として、女子は従軍看護師などとして戦場に動員され、1945年、民間人を多く巻き込む地上戦が始まった。
沖縄での地上戦は、本土決戦に備えた「持久戦」と位置づけられ、第32軍は時間を稼ぐために司令部の置かれた首里から南部の摩文仁へ撤退した。
これにより、多くの県民の犠牲を生んだ。
「日本国憲法をかなぐり捨てたようなものを内外に発信している」
沖縄国際大学 石原昌家 名誉教授
「日本を守る最前線に、また南西諸島を位置づけると言っています。まるで78年前の沖縄とそっくりそのままの状態が生まれてきていると、大変な危機感を覚えています」
慰霊の日を前にラジオ番組でこう語ったのは、沖縄国際大学名誉教授の石原昌家(いしはら まさいえ)さん。50年以上にわたって、沖縄戦の生存者から証言を聞き取ってきた。
石原さんは、安保関連3文書の改定は日本のこれまでの防衛政策の基本となっていた憲法第9条に基づく「専守防衛」を揺るがすものだと指摘する。
沖縄国際大学 石原昌家 名誉教授
「敵基地攻撃能力や長距離ミサイルなど、完全にこれまでの日本国憲法をかなぐり捨てたようなものを内外に発信しています。既成事実の積み重ねがどんどん進んでしまっています」
集団的自衛権の行使を可能とする安保法制の施行や、反撃能力の保有を明記した3文書の改定など、政府は軍備増強を急速に推し進めている。
沖縄国際大学 石原昌家 名誉教授
「戦争世代の政治家の方々は、戦争の恐ろしさを実感しています。何としてでも戦争を避けようとするような言動に、私は感心していました。しかし、そういう人たちがもういなくなってしまって、全く戦争を知らない戦後世代の方が総理大臣になりました。そして、やみくもに戦争態勢を作り上げていくという状況になってしまっていると痛感しているところです」
「新聞を見たり、テレビを見て、何を馬鹿なことを言っているんだと」
翁長安子さん
「新聞を見たり、テレビを見たりすると、わじわじーします(腹が立ちます)。戦争体験者は、何をばかなこと言っているんだと思うはずです」
翁長安子さんは沖縄戦当時、県立高等第一女学校の2年生で、日本軍に従軍した。
ひめゆり学徒隊に入隊した幼なじみや級友たち、多くの命が戦場に散った。
翁長安子さん
「みんな生きたかったはずです。戦争を誰が仕掛けたのでしょうか。誰を恨んでいいかわかりません。戦になったら、全てが灰になるということを知ってほしいです」
目の前で多くの命が失われ、自身の死も覚悟する壮絶な戦争体験をした中で、戦後に感じたのは、生き延びてしまったといううしろめたさ。
思い出すこともつらい経験を語り部として伝えるようになったのは、二度と同じ悲しみや苦しみを生んではならないという思いからだった。
翁長安子さん
「戦死した学友の悲惨な戦争の実相を後世に伝えるべく悲しい悔恨の中から立ち上がり、二度と戦争の過ちは犯さないとの誓いを立て、平和の確立を目指し努めてまいりました」
翁長安子さん
「戦争反対を唱えてください。反撃の準備をする必要はありません。とにかく戦争はしないでほしい、これだけです。戦争をしない。戦争を拒否する行動をしてほしいです」
20万人余の尊い命を奪った沖縄戦の教訓、「命(ぬち)どぅ宝(=命こそ宝)」。
戦争を知らない私たちは、体験者たちがふり絞るように訴える言葉に、いまこそ耳を傾けなければならない。
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