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OKITIVE編集部

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沖縄2世の”ナーベーラー”愛!茨城で畑を耕し故郷を思う

大城農園では30年以上前からゴーヤー(苦瓜)、ナーベーラー(へちま)、スブイ(冬瓜)を収穫


「畑までに向かう途中、沖縄の民謡や古典音楽を聴きことが多い。最近は亡くなった親父のことを思い出しています」

こう話すのは、東京で建設会社を営む、大城朝夫さん。週末になると、都内から車で1時間30分にある茨城県の畑で汗を流している。

畑を耕し故郷を思う

東京から車でおよそ1時間30分。のどかな田園が広がる茨城県つくば市
大城農園ではおよそ2000坪の畑にきゅうりやなす、ミニトマト、ししとうなどを栽培
畑に向かう道中は沖縄と自分自身との関係を見つめなおす大切な時間

大城朝夫さん
「ゴーヤーは全国区になったけど、ナーベーラー(へちま)の美味しさはまだまだ知られていない。どんどんナーベーラーを流行らせたい」

「大城」の苗字といえば、沖縄ではメジャーだが、朝夫さん自身は東京で生まれ育ち、沖縄で暮らしたことがない。

週末はハルサーに変身
島野菜へ深い愛情を注ぐ大城朝夫さん

大城朝夫さん
「父親が沖縄出身で私は『沖縄2世』。若いころは『沖縄』を意識しなかったけど、40歳超えたあたりから、父親の故郷のことを深く知りたいと思うようになった」

『沖縄2世』とは、親が沖縄出身だけど沖縄で暮らした経験がない子ども世代が、自分を紹介する際に使う言葉だ。県外のウチナーンチュコミュニティでは『沖縄2世』『沖縄3世』というワードをよく耳にする。

生きるため故郷から出てきた沖縄1世

貴重な家族写真。右下の赤ん坊が朝夫さん 

『沖縄1世』である、朝夫さんの父親・朝信さんは(故人)は沖縄戦で住んでいた地域や畑を接収されたことから東京へ移りんだ。親戚や身寄りがない土地でがむしゃらに働き、昭和32年には建設会社を創業した。

大城朝夫さん
「親父はお酒を飲んで酔っぱらうと、よく故郷の話をしていた。食糧難の時代の事に触れ、自給自足の大切さを説いていた」

最初は家の庭の一角でゴーヤーを育てはじめた父・朝信だったが、幼少の頃の朝夫さんら子どもにとっては苦い野菜の印象しかなかったそうだ。

警察官時代の父・朝信さん(故人)
父・朝信さんは昭和32年に「大城建設」を創業
父・朝信さんは朝夫さんを含め4人の子宝に恵まれた
写真提供:大城朝夫さん

ビードルズに熱狂した沖縄2世!

学生時代は国内でエレキブーム!左端でドラムを叩いているのが朝夫さん

大城朝夫さん
「学生のころはエレキブーム。友人とバンドを組んでビートルズを演奏した」

酔っぱらうと故郷・沖縄のことを話す父親をよそに、若かりし朝夫さんは当時の流行にどっぷり使っていたと振り返る。

大城朝夫さん
「親父の生まれ育った土地はアメリカだと思っていたし、1972年5月15日の沖縄本土復帰の日も不思議な感じでテレビを眺めていた」

50代で見つめなおしたアイデンティティ

職人さんと餅つきをする朝夫さん(左)
一級建築士の資格を取得し、民間から公共工事まで手掛けた

大学卒業後、父親の事業を手伝うことになった朝夫さん。会社がある板橋区を中心に、新築一戸建住宅やリフォーム、マンション等大規模修繕に取り組む。堅実にコツコツと「バブル崩壊」などいろんな荒波を乗り越えて、会社は今も成長を続けている。

大城朝夫さん
「若いころは家族を養うため、ひたすら目の前の仕事をこなす日々で沖縄のことを考えている余裕はなかった。
でも沖縄1世の父が亡くなった時にふとウチナーンチュネットワークをどう継承したらいいのか?と考えるようになった」

沖縄伝統空手や八重山古典音楽に励む

50代から沖縄伝統空手や八重山古典音楽にも打ち込み始めた朝夫さん。板橋の沖縄県人会活動にも力を入れ、車いすを寄贈するなど社会貢献も行っている。ゴーヤーやナーベーラーなどの島野菜の栽培も、自分自身のアイデンティティを見つめなおす大切な時間だ。

八重山古典音楽で磨いた太鼓は、プロからご指名が入るほどの腕前

ナーベーラーのおいしさを全国へ!

沖縄2世として精力的に活動する大城さんの野望は、東京でナーベーラー(へちま)の魅力をもっと広めることだ。

大城朝夫さん
「私が育てたナーベーラーを心待ちにしている人がいる。有志と共に、ナーベーラーの新しい食べかたを追求したい」

厳しい日差しが降り注ぐなか、キラキラとした表情で語る沖縄2世の朝夫さん。

収穫の時期が待ち遠しい。

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