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OTV報道部

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64年前の米軍ジェット機事故 癒えることのない心の傷 辛い記憶をたどりながら語り継ぐ思い

現在のうるま市石川に、アメリカ軍のジェット機が墜落し、宮森小学校に通う児童や周辺に住む住民合わせて18人が死亡した事故。

2023年6月30日で64年を迎えるのを前に、現場にいた当時の子どもたちが、辛い記憶をたどりながら事故とその後のことを語った。

児童と住民合わせて18人死亡 200人あまりが重軽傷の大惨事

石川・宮森630会 久高政治 会長
「これが6年3組の教室です。血がべっとり床に残っています」

当時宮森小6年3組だった石川和子さん
「私はこの後ろの方の席だから、もう机はほとんど飛ばされて無いんです」

ジェット機事故のその時、当時の6年生だった児童が目の当たりにした光景とは。

今から64年前の1959年6月30日。うるま市石川に、アメリカ軍のジェット機が墜落した。

宮森小の児童とその周辺住民、合わせて18人が死亡。

200人あまりがやけどや骨折などの重軽傷を負う大惨事となった。

忘れようとしても忘れられない 青い炎が天まで焦がす高さに

宮森小学校に近い公民館にこの日集まった3人は、それぞれ別の場所で見た事故の記憶を語ってくれた。

当時15歳だった仲本ユキ子さんは、宮森小に近い姉の家を訪れていた。

仲本ユキ子さん
「ドンっと壁が飛んでいったんです。私は玄関前にいました。当時、この家には誰もいなくて、私だけでした」

墜落したジェット機は、小学校周辺の住宅を押しつぶし、炎上させた。

仲本ユキ子さん
「忘れようとしても忘れられないのは、あの青い炎の天まで焦がすくらいの高さ、これを今でも時々思い出します。あんなの見たことありませんでした。子どもでしたから」

事故で犠牲となった18人のうち6人が、学校の周辺で暮していた住民だった。
ユキ子さんがいた姉の家の隣に住む男性も、命を落とした。

当時宮森小6年1組だった仲程サネ子さん
「火のついた木片がびゅんびゅん飛んできました。もう戦争しか頭にないですよ。戦争だったら、3年生の妹と1年生の弟がいるので、『2人を探さなくちゃ』って、逃げるときはずっと思っていました。中庭に走っていった記憶までしかないです」

当時宮森小6年3組だった石川和子さん
「一瞬のことでした。先生が言うには、『伏せろ』と言ったらしいですけど、私たちはそれを聞いていません 」

近くにいたクラスメイト3人は即死状態

当時6年生だった石川和子さんがいたのは、6年3組の教室。

当時宮森小6年3組だった石川和子さん
「こっちが正行、伊波正行。明美と菊江が(隣同士で)一緒に座っていました。正行がここ、私がここでした」

和子さんの前の席に座っていた伊波正行さん、久高明美さん、照屋菊江さん、3人が亡くなった。

当時宮森小6年3組だった石川和子さん
「6年生3人が亡くなっているということを、父が聞いたらしいです。だから、自分の娘じゃないかと、父は無我夢中で(学校に)走っていったらしいです」

石川・宮森630会 久高政治 会長
「3人ともほぼ即死状態でした」

和子さんはガラスの破片が腕に突き刺さり、逃げるために2階から飛び降りた衝撃で腕を骨折。陸軍病院で受けた手術のあとが、今も腕に残っている。

当時宮森小6年3組だった石川和子さん
「軍病院で手術して、麻酔から覚めたときに、うちの父と母がそばに立っていて、比嘉静先生がいました。父と母が声を出して泣いているのを見て、それで、『えっ』とびっくりしました」

我が子の無事が確認できて、大粒の涙を流した両親の姿が脳裏に焼き付いている。

「今でも飛行機の音が怖い」 癒えない心の傷

和子さんが陸軍病院を退院する頃には、小学校は新しい校舎となっていた。

体の傷は回復したが、心の傷は癒えていなかった。

仲本ユキ子さん
「この後もみんな苦しんだんじゃないですか。子どもを失い、家を失って」

当時宮森小6年3組だった石川和子さん
「私たちが退院して帰ってきてからも、飛行機の音が鳴るたびに、みんな大声をだして泣いていました」

仲本ユキ子さん
「今でも飛行機の音が怖いです。ジェット機が飛んでいるなと」

「皆さんの話がないと事故のことはわからない」「語り継いでほしい」

事故から64年となるのを前に、改めてつらい記憶を語った当時の子どもたち。
事故の記録と記憶を継承しようと活動する石川・宮森630会の久高会長は、感謝の思いを述べた。

石川・宮森630会 久高政治 会長
「多分、苦しい気持ちにもなると思いますが、皆さんのお話がないと、実際に事故がこういうことだった、というのはみんなわかりません。皆さん一人ひとりの話が大事です」

これまで、学校での講話や写真展を開き、事故の記憶を伝えてきた石川・宮森630会。

遺族会とともに毎年主催する慰霊祭が2023年6月30日に執り行われるが、高齢化により参列する遺族は年々少なくなっている。

石川・宮森630会 久高政治 会長
「僕ら(石川・宮森630会)は、どちらかというと、遺族がいて、このジェット機事故を語り継いでいくという側面が強いです。ですので、寂しい思いがします」

犠牲の大きさに向き合い、亡くなった人と遺族、けがに苦しんだ体験者に心を寄せてもらいたいと力を込める。

石川・宮森630会 久高政治 会長
「多くの人に来てほしいです。この事故のことを忘れないで、また、語り継いでいってほしいです」

毎年訪れる6月30日。事故を風化させない取り組みをたゆみなく続けることを、犠牲者や遺族に誓う。

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