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OKITIVE編集部

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いろんな顔を持つゴリさんに聞いた、芸人・役者・監督それぞれとの出会い。

目次

インタビュー中に笑顔を見せるガレッジセール ゴリさん

お正月を飾るトークバラエティ「ゴリん家で語やびら(ゴリんちでかたやびら)〈OTV沖縄テレビ〉」に2年連続出演してくださったガレッジセール ゴリさん。今回の特別番組をご視聴いただいた方はお気づきと思いますが、ゲストとの多くは「出会い、きっかけ」のトークでした。そこで、お笑いだけでなく俳優や映画監督としてご活躍中のゴリさんに、それぞれとの出会いやきっかけのエピソードをお伺いしてみることに。いったいどんなお話が飛び出すのでしょう。

注)「語やびら」はウチナーグチ(琉球語)で「語りましょう」の意味

まわりの一言をきっかけに目指したお笑いの道

――まずはお笑いの世界を目指した馴れ初めを教えてください。

「ぼくは役者になるつもりでした。日本大学芸術学部の映画学科 演技コースにいたので。その時、みんなの前でパフォーマンスをやることがあって。『おまえ、おもしろいからなんかコントやってよ』って言われてから初めてコント台本を書いて、自分で演じたらウケて。それが余りにも気持ちが良かったんです。それに、まわりからも『お笑い芸人やればいいのに』って言われて。そんなこと頭になかったけど、明石家さんまさんもダウンタウンの浜田雅功さんも、みんなお笑いやりながら役者もやっているんですよね。それで『あ、そうか、お笑い芸人の方がエンターテインメントを全部できるや』って気づいて。それが芸人を目指したきっかけです。

今日のゴリん家で語やびらでもいろんな出会い・きっかけの話がありましたけど、ぼくもそうなんです。まわりから『やってみたら』と言われていたのがお笑いとの出会いですね。」

お笑いの道を目指した話を話すガレッジセール ゴリさん

「ぼくは二浪して、受験勉強を東京でやっているのがツラくて。もう大学行くのやめようかなと思って、下宿生に『おれ沖縄に帰ろうかと思う』って話していたんです。そうしたら下宿生と『神様が、やりたいことをなんでも叶えるって言ったら、どんな仕事やってみたい?』って話になって。ぼくは映画とかドラマとか好きだから『あの映画の中に入ってインディー・ジョーンズになって、馬に乗りながら悪者やっつけて、ヒロインと恋をして、宝物見つけて… そんなことやってみたいよね~』って。すると『じゃあ日芸行けばいいのに。映画学科に演技コースがあるよ』って教えてくれて、初めて日芸を知って。『4年間映画を学べるなんて、そんな楽しい上に卒業資格ももらえるなんて!それで沖縄に帰ってきて就職すればいいや』って思ってたんです。沖縄でいい企業に就職したいから、それだけのために大学へ行きたかったんです。」

「楽しい授業を4年間受けられるって入学したけど、まわりには本気で俳優を目指している学生もいるじゃないですか。そういう人たちにも刺激を受けるし、さらにプロの世界にいる卒業生とかの先輩たちがエキストラで呼んでくれたりするんです。すると、今まで遠い世界だった芸能界が、すごい近くにあることに気付くわけですよ。『あれ?これ一回しかない人生、もしかしてちょっと頑張ってみる価値があるんじゃないか?』って。それも出会いですよね。」

目の前のチャンスを掴んでから勉強すればいい

――すごい出会いですね。ゴリさんといえば映画監督もされていますが、監督を始めたエピソードを教えてください。

「映画監督もそうです。吉本興業が所属している芸人50人に短編映画を撮らせるって企画を立ち上げて、『ゴリ、おまえ映画学科なんだから、撮ってみたらどうだ?』って言われたのがきっかけです。

ちょうど、江口洋介さん主演のGOEMONって映画に出演していて。それで紀里谷和明監督に『監督の仕事って大変ですよね。ぼくも短編映画を撮ってみないかって話が来たんですけど、さすがに…。撮りたいとも思ってないんで断ろうと思います』って言ったら、『チャンスを逃すんじゃないよ!』って急に怒られて。『アメリカだったら考えられないよ。目の前にチャンスがあって、撮らないアメリカ人はいないんだよ!』って。『でも、ぼく映画なんて撮ったことも勉強したこともないし』って言ったら、『いいんだよ、チャンスって全員にこないから。限られた人にしかこない。監督になりたくて努力して努力してくるチャンスもあれば、一切勉強してこなかったけど目の前に来たからまずチャンスを掴んで、そこから勉強するってやり方もあるんだよ!』って。

ああ、そういう考えもあるのか、じゃあやってみようかなって監督をやってみたら、作品を作り上げる素晴らしさを味わって。最初は自分も俳優として出ていましたけど、もう出なくてもよくなってますもん。こんなに出たがりだったのに、自分で撮る方が楽しくて。自分の頭の中に浮かんだものを文字に書き起こして、それを役者にしゃべらせて、カメラで撮ったものを編集で繋いで。いままで存在しなかった世界が生まれるわけじゃないですか、こんな感動ないですよ。もう『見て見てー!』ってみんなに言いたいです。かわいい作品の我が子は見てもらいたいんです。もう我が子なんだよ、苦労して作った作品だから。」

映画監督でもあるガレッジセール ゴリさん

足を止めて待つのは絶対だめ

――この2年、コロナ禍で苦労されたことも多いと思います。どの様にすごされていましたか。

「コロナが蔓延し出して、沖縄でルーティンでやっていた仕事は一切途絶えてしまいました。おきなわ新喜劇を広めるんだって毎週劇場でやっていたものは、クラスターの懸念があるから2年近くできていません。コロナになってエンタメ全体、影響を受けました。

実際、ぼくはコロナにも感染して。隔離される世界というのは精神的に追い込むもので、ぼくは軽症ではなかったので肉体的に苦しむ不安、後遺症になったらどうしようという不安も。もしかして命に関わったらどうしようって思うくらい、11日間苦しみ続けました。でも、同じ病棟の中にはぼくよりも酷い咳で毎日一日中苦しんでる人もいて、戦っていました。

ぼくが沖縄に帰ってきたときに使っていた沖縄かりゆしアーバンリゾート・ナハが閉館したじゃないですか。ああいうショックとかを見ていると『苦しいのは自分だけじゃない』って逆に強みとか勇気になるというか。『みんな大変なんだから、俺が甘えたこと言ってられない。頑張らなきゃ』と思ったんです。何か探して、何か始めて、動けるだけ動かないと。『足を止めていつか戻るのを待つなんて、絶対だめだ』と思って。酸素を吸っている以上、息を吸っている以上は生きてるんだから大丈夫。何かできるってことだから動こうぜってYouTubeチャンネルを始めたり、洗骨に続く次回作の長編脚本を書き始めたり。頑張ってます。

それでも前に進めない人もいると思うので、今回のゴリん家で語やびらを見ていただきたいですね。『よし、俺も前に進もう!』って思えるような話がいっぱいあったと思うんですよ。ぼく自身もテレビを見ている人に対しても『進めよう』って思いますし、『ゴリがああいう風に頑張っているから、おれもわたしも頑張ろう』って思ってもらえるような姿を見せていきたい。そういう意味でも、2022年のぼくの活動を楽しみにしていただけたら嬉しいですね。」

これから沖縄でやりたいこと

――ゴリさんは今後沖縄でどのような活動を考えていますか。

「沖縄はいろんな問題を抱えていますが、ぼく自身にできることって結局、『沖縄県民のひとりとして頑張ってるね』って喜んでもらえる存在を続けること。年配の方から『あんた、洗骨っていい映画撮ったね、ありがとうね!』って言われた時も沖縄の役に立ってよかったですし、ゴリエが復活した時も『あの時すっごいワンナイファンで、復活が嬉しかったんですよ!』っていろんな沖縄県民に言ってもらえるのもよかったと思っています。

あと、おきなわ新喜劇やお笑いもそうですけれども、そういうものを沖縄に残せるような活動をやりたい。おきなわ新喜劇はぼく自身が出るよりも、パッケージを作りたくて立ち上げたんです。パッケージさえできればぼくは抜けて、若手がどんどん新しくやっていければいいと思うんです。なので、そのパッケージを残すことをしたい。

お笑い以外では、映画ですよね。映画はもうルーティンで15年以上、それも沖縄を描いているものがほとんどです。ただ『海きれいだね~、のんびりだね~』みたいな沖縄ではなく、ぼくだからこそ描ける沖縄の文化だったり芸能だったり、沖縄県の事情っていうものを表現しながら、世界に対して沖縄を認知するお役に立てたらなぁって。映画は世界に発信されるんです。洗骨も、韓国や中国、ポーランド、ロシア、アメリカ… いろんな国々の皆さんに賞賛されたって聞くと、それだけの国の人たちに沖縄を認知してもらえたことがお役に立てたと思う。だから、それを続けていきたい。」

復帰50周年に向けて

――沖縄は2022年に本土復帰50周年を迎えます。ゴリさんの視点でどのように思われていますか。

「ゴリん家で語やびらでも話しましたけれど、復帰前を知っていて『うわー!復帰したね、戻ったね』っていうのが味わえれば、復帰50周年に対して何か感慨深いものがあると思うんですが…

ぼくが生まれた時には日本であることが当たり前だったので、過去の資料映像を見たり文章を読んだりしながら『ああ、こういうことがありながらの復帰だったんだな』って思うとその年に生まれたことが光栄に思います。復帰っ子と呼ばれることがすごく心地よいというか。『復帰っ子として胸を張っていいんだ』みたいな嬉しさがありますね。

沖縄復帰50周年に対して復帰っ子としてできることは、水面下でぼくも動いてます。そういう部分もまたみんなが喜んでくれたり楽しんでくれたりするといいなぁって思います。」

――なるほど、復帰50周年について今は言えないサプライズがあるんですね。

「そうですね。それも出会いでしたね。2年前に『復帰50周年についてこういうのやってみませんか?』と言われて。2年くらいかかるものです、やろうと思えば。もうすぐわかると思います。」

――その日はもちろん、今後のご活躍を楽しみにしております。本日はありがとうございました!

ガレッジセール ゴリさんは復帰っ子

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