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OKITIVE編集部

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声が続く限り沖縄の風景を歌詞にしたためて残したい。しゃかり チアキさん

目次

インタビューに応えてくださった、しゃかり チアキさん

人気ユニット「しゃかり」のチアキさんは、伸びやかで優しく透き通った歌声が印象的です。沖縄に生まれ育った歌姫は復帰っ子でもありました。今回は歌い始めるきっかけから、沖縄復帰50周年まで幅広いお話を語っていただきます。

「賞で稼げる」と思ったこども時代

――チアキさんが歌を始めたきっかけを教えてください。

「うちの母は、わたしが小さい頃に離婚しまして、本土に出稼ぎに行っていたんですね。母が働きに出かけている間は、わたしはおばあちゃんに面倒を見てもらっていました。そのおばあちゃんが全盲で、目が見えなかったんですね。目が見えないので外に出て一緒に遊ぶということが全くなくて。学校以外はずっとおうちにいる感じでした。その時に、たぶんおばあちゃんが寂しがらないようにって思ったのかな、よく一緒に歌っていました。わらべ歌とか、その当時にはやっていた歌だとか。歌うことがわたしたちの遊びでした。

祖母は目が見えないので思い出のアルバムを見ることはできません。だから声をテープに残していたんです。これは何歳のころ、これは何歳の頃って。うちの母親が年に2回戻って帰ってきた時、そのテープを聞くのが楽しみだったんです。テープを聞いて母は『あれ?この子はもしかすると歌が上手かもしれない』と思ったらしく。

それで、母親がわたしに内緒でカラオケ大会に応募したんです。そしたら、ありがたいことに賞を頂いて。その賞をいただいたことにものすごく喜んだんですけれど、さらに副賞で当時一番上等な掃除機がついてきたんですよ。それを家族みんながものすごく喜んで。それで『わたしの生きる道はこれだ!』と思いました。『もっと上手になって賞をとれば稼げる!』と思って(笑)。母親も出稼ぎにいかないでいいし、こども心に頑張ったのがきっかけですね。」

――ハングリーな精神があったんですね。

「『みつけた!』って。それが歌のはじまりだったんです(笑)」

しゃかり チアキさんの優しい笑顔

コロナ禍でチャレンジしたこと

――この2年、どのようにすごされていましたか?

「人と会わなくなった時間が長くなれば長くなるほど、情緒不安定というか。大きい音が怖くなったり、家の中でも音楽を流さないとお風呂に入れなくなったり、すごく不安定になってしまって。

これではいけない、何かしなければと思って、うちの旦那さんにちょっとずつ習ってピアノを毎日弾く時間ができました。しゃかりのオリジナル曲を弾き語りしたいって目標を決めて、勝手に弾き語りチャレンジみたいのをやって。SNSに乗せれば自分にも気合が入るかなぁって、毎回ちょっとずつ弾けるようになっていくのを投稿したらファンの方々も喜んでくださって。そうしたらまた嬉しくなっちゃうから、どんどん調子に乗って練習して、2曲弾けるようになってYouTubeに乗せました。時間がたっぷりあったからできたことです。今はライブでお披露目出来たらいいなぁって目標で練習しています。」

――収録で話されていたサボテンの話をしてもらえるのかと思っていました。

「サボテンはいま8個あって、観葉植物も結構増えました。あの子たちってどんどん増えていくんですね。挿し木をしたらどんどんいろんなところに置いて。会うたびに『はーい!』とか『待ってるよ』とか『もっと生えてきなさいよ』とか話しかけたら、緑って本当に生えるんですね。毎日話しかけて、毎日やったら生えてくる。かわいい友達が増えてよかったです。」

復帰っ子としての想い

――復帰っ子としてウチナーグチを伝えていきたいといったお話もありました。

「わたしは歌を生業にしてますので、音楽表現で何かお手伝いできるところがあれば精一杯やりたいと思っています。具体的にやるとしたら、沖縄の美しくて素晴らしい言葉を題材にした歌をもっともっと残したいですね。

それだけでなく、貧困問題やこどもたちへの援助などを率先してやられている復帰っ子の方々が何名かいらっしゃって。もしわたしも一緒にお手伝いができることがあればやりたいと思っています。2021年に結515プロジェクトが立ち上がったので、みんなで話し合いの場をどんどん設けてられたら。復帰50周年だけではなく、これをスタートにみんなでいい活動ができればいいなぁと思います。」

和装でお話をきかせてくださる、しゃかり チアキさん

――2022年、沖縄は復帰50周年を迎えます。音楽も踏まえてなにかお考えはありますか?

「生まれ年なので復帰というものがピンとこないというか、昔の映像を見て『こんな風景だったんだ~』って感動していました。しゃかりのコンセプトや曲作りの土台にしているのが、いまわたしのなかに入ってくるその時代の風景だったりするんです。生涯現役じゃないんですけれど、声が続く限りその沖縄の風景を歌詞にしたためて残せたらなぁと思っています。もしわたしがいなくなったとしても、CDが残ってくれていたら、それを聞いた未来の人たちが『あ、昔の沖縄はこんな風景だったんだ』って伝わると思って。わたしが琉球古典音楽で学んだ何百年前の景色を見させてもらっているのと同じように、自分たちもCDという形で、未来に美しい沖縄を残せたらと思います。」

――その想いが叶うことをOKITIVE編集部も願っています。本日はありがとうございました!

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