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ベンビーの芸人辞めようと思ったおはなし
どうも、先日スーパーで自分の鎖骨に傘をかけて歩いているおばあちゃんを目撃したベンビーです。
耳にペンとかは見たことあったんですけどね。
私ベンビー、2023年9月1日に芸歴丸23年、24年目に突入いたしました!いやあ続けたなあ笑
49才で23年。てことは52才で26年。あと3年続ければ人生の半分を芸人として過ごしたことになるんだな。
実はそんな23年の芸歴のなかで一度だけ、「芸人を辞めよう」と思ったことがあります。
今回はそんなお話。
幻のコンビ「いぐじゃくとりー」結成
まずはデビュー直前からざっと振り返ってみましょう。
初めて事務所の門を叩いたのは2000年8月のことでした。この世界に入ってずっとピン芸人なんですが当時相方みたいなのもいまして。2人でコンビ名も考え、天下取るぞーと息巻いて稽古の見学に行きました。
まずは見学だけのつもりが当時の事務所代表(現会長)の部屋に呼ばれ話を聞くことに。
そこで聞かされたのは芸人の厳しさ。仕事内容もそうですし彼女と別れることになるかもしれないよとか、親の死に目に会えないかもしれないよとか。それでも芸人になるの?と。
しかしこちとらそんな脅しで諦めるような中途半端な覚悟じゃあありません。横に座る相方と目を合わせ軽く頷き、正面の代表に「やります!」と、僕だけ答えました。
そう、僕だけ。
しばしの間があって相方が発した一言「考えさせてください」
えー!!!うそだろ!2人でダウンタウンさん越えるんじゃなかったの!?
考えさせてくださいと言った彼でしたが既に気持ちは固まっていたようで事務所を出た瞬間「ごめん、俺できんわ」と言われました。こうして幻のコンビ「いぐじゃくとりー」は一度も舞台に立つことなく解散。
そんなこんなで僕は2000年9月にピン芸人として入団。
同年12月のライブで「20世紀最後の大物」っていう触れ込みで(あ、セルフ触れ込みです。僕以外誰もそんなこと言ってません笑)デビューしました。
デビューのネタはダダすべり。見に来てくれた友達の凍りついた顔が今も忘れられません。
元相方も来てました。おそらくこう思ったことでしょう「一緒にやらなくてよかった」と。
事務所主催のライブは当時から今も変わらず月一回開催。芸能の世界に入ることを軽く反対していた両親も2回目のライブからは毎月見に来てくれていました。
さあここからが僕が一度だけお笑いをやめようと思ったお話です。
芸人を辞めようと思った話
デビューから2年ほどたった頃だったと思います。
実は僕の父親は商売人だったんですが当時は商売もうまくいかず、いろいろあって多額の借金を抱えていました。
そんななか、四人兄弟の次男である僕は大学を卒業したもののバイトをしながらの芸人生活。
長男は別の仕事をし三男は東京で大学生、そして四男だけが家業を手伝っていました。
父は毎晩遅くに帰ってきて、僕が部屋にいる時は「どんなか最近は?」と声をかけ、それに対して僕は「まあまあかな」みたいな適当な返答をし「そうか、頑張れよ」と部屋に足を踏み入れることもなくドアを閉めて去っていくっていうのがいつもの流れでした。
ところがある日、いつもより少しだけ酔っ払って帰ってきた父は僕の部屋のドアを開けるとつかつかと入ってきて語り始めました。
商売がうまくいっていない話、借金の話、財産の話。話すだけ話して僕のリアクションを待つこともなく部屋を出ていきました。
子どもの前では弱音を吐かない父がそんな話をするということは恐らく家業を手伝って欲しいんだなと理解しました。
私立の中学高校に通わせてもらい、大学さらにはオーストラリア留学も全額親のお金で行かせてもらった僕。
もうお笑いを辞めて父の手伝いをしようと思い、兄弟で唯一父と働いている弟と飲みに行きました。話を聞くと想像していたよりもかなり苦しい状況でした。そこで僕は「お笑いやめて、おとうの手伝いしようかな」と弟に伝えました。
すると返ってきた答えは予想外のものでした。
「辞めるな!おとうもおかあも毎日お金の心配ばっかりで家にいても心から笑ってないよ。唯一ニ人が心から笑えるのが兄貴のライブだわけよ!家のことは俺がなんとかするよ!」
そう言ったんです!やばい、やっぱり涙が出てきた。
この話何度か人前で話したことあるんですけど100%泣いちゃうんですよ。
嬉しいできごと
この弟はもちろん、長男、三男、両親、家族の応援と支えがあって今でも役者・お笑い芸人として活動ができています。
芸歴12年目にはOTV主催沖縄お笑いナンバー1決定戦「O-1グランプリ」で優勝することもできました。
これからはさらに高みを目指して、海外でも活躍できる役者を目指して精進していきます。
あ、ちなみにO-1優勝した時に元相方とサシで飲みに行きました。
その時に彼に感謝を込めてこう言いました「あの時一緒にやらないでくれてありがとう」と。
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