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OTV報道部

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“辺野古容認”の元知事が危惧する法廷闘争の禍根 米軍基地移設代執行訴訟判決を前に語る

普天間基地の名護市辺野古への移設計画を巡り国が起こした代執行訴訟の判決が、12月20日に言い渡される。

1998年から二期に渡って沖縄県知事を務め、普天間基地の返還・移設をめぐり国と厳しい交渉を重ねた稲嶺惠一さんは、法廷闘争で決着が図られようとしている現状について、いま何を思うのだろうか。

元知事が判決を前に抱く強い懸念

第5代沖縄県知事を務めた稲嶺惠一さん。

普天間基地の名護市への移設問題。その行方を左右する代執行訴訟の判決を前に強い懸念を示し、沖縄問題を1つのルールや法律だけで推し進めようとしても、感情が残るのだと語気を強めた。

沖縄の大手企業、りゅうせきの会長だった稲嶺さんは、1998年の県知事選で当時、現職の大田昌秀知事の対抗馬として出馬し、経済界から初めて誕生した県知事だ。

稲嶺惠一さん
「(当時)いろいろ基地問題を提起するのは(全国の中で)沖縄県知事だけなんです」

防衛が国民全体の問題であるにも関わらず、沖縄だけの話だと矮小化され、問題に触れない、話題にしないという空気があったという。

かつて、「県知事の仕事の7割は基地問題だ」と語った稲嶺さん。

県政の重要課題だった普天間基地の移設問題について、軍民共用や15年の使用期限などを条件に1999年、辺野古移設を容認した。

稲嶺惠一さん
「常に理想の線に戻るように考えながら、現在に合わせて現実を見極めて理想を思いながら、そこでベストの選択じゃなくてベターの選択をした」

軍民共用や15年の使用期限について閣議決定まで取り付けたが、2006年、政府はこの条件を反故(ほご)にして、滑走路をV字型とする案を閣議決定した。

その後、民主党政権の誕生で普天間基地の県外移設が浮上するが結局、辺野古に回帰し、自民党が政権を取り戻した後は「辺野古が唯一の解決策」だという強行姿勢を取り続けている。

2012年、普天間基地に配備されたオスプレイ。

オスプレイの配備に全ての市長村長が反対した「建白書」を携えた政府への要請行動を機に、超党派で辺野古移設に反対する機運が高まった。

2019年には辺野古の埋め立ての賛否を問う県民投票で、「反対」が投票総数の7割を占めた。

この間、県と国は移設問題を巡って裁判を繰り返し、対立を深めていく。

稲嶺さんはこうした状況の中で代執行に踏み切ってしまえば、禍根を残すことになると危惧している。

稲嶺惠一さん
「国防というのは自分たち(日本全体)のことなんだけど、沖縄問題だと思っている。それが非常に重要で、いまも問題は根深いんですよ」

稲嶺さんは、沖縄政策というのは十分配慮すべき課題だと政府に訴えていた。

Q.代執行で結末を迎えようとしているが、沖縄県民の感情は残る?

稲嶺惠一さん
「感情は残る、それは別問題。法律で正しかろうと、感情っていうのは別問題なんです。(国に)何度も言っているけどわかってくれない」

建白書の要請行動以降、超党派で一致していた普天間基地の県外移設を求める沖縄の声は、県選出の自民党国会議員や自民党沖縄県連の方針転換で崩れ、また、辺野古移設反対の一点で保守や経済界を巻き込んでまとまった「オール沖縄」は、かつての勢いを失っている。

なぜ沖縄だけの問題にされ続けるのか

稲嶺さんは移設問題が浮上してからのこの間、国民的な議論に発展しなかったことで、まるで沖縄だけの問題のような現在の状況に陥ったと話す。

稲嶺惠一さん
「沖縄がどんなに真剣な要求をしたとしても、それは通らない。通るためには60%以上の国民のコンセンサス(合意)を得ることが重要。つくづく感じるのは、沖縄としてそういう努力をしてきたかということ。私は、はっきり言って足りないと思っている」

普天間基地の移設をはじめ、沖縄の基地問題は日本の安全保障の問題。
全国で議論されなければ、いつまでも「沖縄だけの問題」になりかねないと懸念している。

稲嶺惠一さん
「沖縄頼むよ、沖縄ありがとうじゃなくて、実は防衛の問題というのは全国の問題。だから裁判の結果が出てマイナスだ、プラスだと言う前に、その根底の問題というものを解決しない限り、いつまでたっても同じなんですよ」

裁判で国の訴えが認められれば裁判所は県に承認するよう命令し、それでも応じなければ国は代執行に踏み切り、自ら設計変更を承認して移設工事を進めることになる。

県との間に禍根を残しかねない、国による代執行という手段。
日米の返還合意から27年が経過した普天間基地の移設問題の結末が、果たして代執行以外ないのか。

判決はまもなく言い渡される。

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