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OTV報道部

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首里城地下に眠る日本軍の拠点 全容解明の鍵を握るインテリジェンスモノグラフ

首里城の地下にあり、沖縄戦の指揮が取られていた第32軍司令部壕。
現在、保存・公開に向けて壕の構造や坑道の位置を特定する調査が沖縄県によって進められている。

この調査で参考にされているのが、アメリカ軍の資料である「インテリジェンスモノグラフ」だ。

全容が明らかとなっていない第32軍司令部壕について、アメリカ軍はどのような記録を残したのだろうか。

総延長は1キロ 日本軍の拠点

沖縄戦を研究し、第32軍司令部壕などについて平和ガイドを務める仲村真さん。

沖縄県平和祈念資料館友の会 仲村真 事務局長
「こちらが第一坑道の入り口で、ここからずっと金城町側の第5坑口に32軍司令部壕がちょうどこの真下を通っているイメージですね」

首里城の地下にある第32軍司令部壕は、沖縄戦における日本軍の拠点で、当時の学徒兵などの動員で構築され、総延長はおよそ1キロにも及ぶとされている。

1997年(平成9年)に保存・公開が検討されたが、崩落の危険性などから調査は進まず、現在も壕の全容は明らかとなっていない。

沖縄戦全般を記した米軍の資料

米軍は沖縄戦の前に、既に首里に司令部があるという事は把握していたとされ、どのような形で防衛の仕組みがあり、あるいは組織はどうであったかということが、インテリジェンスモノグラフに取りまとめられているため、仲村さんは「実況見分をした報告書と言ってもいい」と話す。

インテリジェンスモノグラフはアメリカ軍による沖縄戦の報告書で、日本軍の陣地や戦力など沖縄戦全般に渡って細かく記録されている。

この中で、第32軍司令部壕は、日本軍が南部に撤退した1945年の5月に調査され、5つの坑口と2つの立坑の位置や長さ、そして壕内部の写真など構造が詳細に記録されている。

沖縄県平和祈念資料館友の会 仲村真 事務局長
「捕虜をここに連れて来て、実際に現場検証みたいなことを進めながら、この報告書も作成されています。いま現在あるもので一番正確性が高いものが、この米軍が作った図面になりますね」

首里城公園内では現在、沖縄県が坑道を特定するためボーリング調査が実施されている。

インテリジェンスモノグラフは坑道の位置などを特定するため沖縄県が参考に用いており、これまでの調査では第一坑道の床面が確認されたほか、坑口の特定に向けて試掘調査が続けられている。

また2023年の調査では、地下の第一坑道につながるシャフトAと呼ばれる立坑の付近でボーリング調査が実施された。

沖縄県平和祈念資料館友の会 仲村真 事務局長
「日本軍のいま残っている資料とか見ても、インテリジェンスモノグラフみたいに立坑の構造がきれいに書かれたものは見たことがないです」

その存在が、ほとんど明るみに出ていなかったシャフトA。

インテリジェンスモノグラフにはシャフトAについて、全長30メートル、そして中腹は踊り場のようなスペースが設けられるなど詳細な記録がされていた。

沖縄戦の作戦・判断が行われた場所

また、地上部分は敵の侵入を確認する監視台があり、シャフトAを降りた周辺には作戦室や司令官室など軍の中枢的な機能が集まっていた。

沖縄県平和祈念資料館友の会 仲村真 事務局長
「(この地下で)作戦を練る参謀、それを決裁する司令官もここにいますから、沖縄のいろんな作戦の実施のための判断が行われた場所が、まさにちょうどこの下あたりです」

沖縄戦で多くの住民を巻き込む「南部撤退」を決めた第32軍司令部の判断は、この地中で下された。

仲村さんはインテリジェンスモノグラフについて、「司令部壕の存在を確かなものへと裏付ける重要な資料」と話す。

沖縄県平和祈念資料館友の会 仲村真 事務局長
「戦後も80年近くなると、戦争遺跡もどんどん無くなってきます。この機会に、これ(司令部壕)を保存、あるいは何らかの形で公開するという事は非常に大切なことだと思います」

沖縄県はボーリング調査について、中間報告という形で2023年度の公表を予定しているほか、2024年度は保存・公開に向けた基本計画の策定を進める方針だ。

沖縄の繁栄の象徴として復興が進む首里城。

その首里城の地下に眠る第32軍司令部壕は、沖縄戦の記憶を次世代に継いでいくためにも必要不可欠な戦跡と言える。

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